見出し画像

花に逢う

花を撮影するのも好きです。

花の撮影で感じるのは「撮る」という行為が「会いに行く」ということに近いこと。
撮影することは、花と会話を行うことで、花を愛でるということは、花に「よく咲いたね!」と語りかけることだとおもうのです。

花が咲くのは、もちろん子孫を残すためですが、色鮮やかな姿や、魅惑的な芳香や…野に咲き乱れる花々を見ていると、美というものを頼として懸命に生きているのだなぁ、と感じ入るのです。
…それが「意志」として伝わる気がする。

こちらは「それ」を汲んであげる。
モデルの良いところ、伝えたいところを引き出すファッションカメラマンと同じように。
清楚な花は清らかに、華やかな花はアクティブに。
四季其々に咲く花々の姿は、何十年撮り続けても飽きることなく、そして満足も出来ません。

上手くいったと思うときは、気持ちが晴れやかになります。
外国の人とのコミュニケーションが出来たときみたいに。
思わず「ヨシ!!」と小さく声が出ます。
小さな声を捉えたぞと、嬉しくなるのです。

蜂や蝶など、吸蜜したり花粉を運んだりする昆虫は、色彩がわからないそうです。
モノクロ写真を少し齧った人は、お分かりになると思いますが、色にはそれぞれ「波長」というものがあって、モノクロの場合はそれが濃淡に繋がります。

それで昆虫は、自分が好きな、または、自分が作業がしやすい花を選べるわけです。
菜の花に蜜蜂が多く群がったり、彼岸花にカラスアゲハが良く通っているのを見た人も多いかと思います。
昆虫たちと花は、互いに意思交換をしているのです。

昆虫たちとは違いますが、人もそれと似たようなことはしている気がします。
ペットと人の信頼関係のように、言葉は通じずとも、相手の欲することがなんとなくわかるように、花と人はどこかで通脈しているところがある気がしますね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?