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紫がたり 令和源氏物語 第四百三十話 御法(八)

 御法(八)
 
紫の上ほど世間から敬われ、惜しまれた女人はいないでしょう。
天下人源氏の一の妻としてもさることながら、世の噂の的になるようなこともない嗜みのある様、慎み深さ。
世に褒められた継母はいないというものの、実の子でもない娘を中宮にふさわしい女人に育て上げたことは世の語り草となっております。
明石の中宮が今上の寵愛を一身に受けながら、驕ることもなく慈愛に満ちた様子でいらっしゃるのは、この紫の上という人の徳を如実に示したものである、と世の人々は上の逝去をとても悲しみました。
今上からは念入りなお悔やみが送られ、上達部や親王方からもたくさんの弔問があります。
しかし源氏は見る物みな色褪せて生きる意欲もないその姿を人には晒したくはなく、ただ念仏堂に籠っております。
側には常に夕霧が控えて、七七日の間、御忌として籠っているので、そうした弔問はすべてこの君が応対しました。
夕霧はあの紫の上の骸を見て後は更に想いが募り、その麗しい姿を忘れることはできないのです。
自身も阿弥陀仏と日毎上の為に祈り、僧侶達には特別に念誦などをさせております。
時節柄風が強く吹く日などは、あの一瞬の邂逅を思い出さずにはいられません。
 
いにしへの秋の夕の恋しきに
    今はと見えしあけぐれの夢
(その昔秋の夕暮れにあなたの美しい姿を垣間見たのを夢のように懐かしく恋しく感じましたが、再び会えたのがいまわの際とは、これもまた皮肉な夢のようであることよ)
 
世の中はつくづく儚いものだと夕霧は思い知りました。
最愛の人を喪った父の姿を見て、いつどのように別れが訪れるのか、それは人にはどうしようもないことである、とも痛感しました。
無性に離れてしまっている雲居雁が恋しくて、このままどちらかが儚くなってしまったならばさぞかし悔いが残るであろうと思われるのです。
いつまでも子供のようにつまらぬ意地を張らず、昔のように睦まじく暮らしたいものだと切に願う夕霧は、雲居雁に手紙をしたためることにしました。
 
心から愛していると伝えよう。
その言葉が届くうちに。
 
人間は意志を伝える手段を持ち得ているものの、なかなか瑣末なことに捕らわれて素直になれない生き物なのです。
夕霧は二人の思い出をなぞるように思い浮かべながら、心を込めて言葉を綴りました。

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