落ちていく瞬間について2,3のこと
落ちていく瞬間が好きだ。
ベランダの手摺りの膨らんだ雨垂れ、終わりかけの線香花火、夏の終わりの蓮の花。
「ある」ものが放たれて「なく」なる儚さ。
終わりまでのカウントしながらその瞬間を待つ、我ながら悪趣味だとは思う。
中学の美術の時間に描いた絵は青空にガラスの破片が散らばっている絵だった。
言わずもがなあるアニメの影響。
忘れもしない第5話、主人公と因縁の相手が初めて戦う話。
教会の上層部から突き飛ばされ、ステンドグラスとともに落ちていく主人公。
過去と落下する今が交互に流れる映像と甘美な讃美歌が爆音の中、スローモーション。
あまりにそのシーンが気に入って、自分でも描いてみようと思ったのだった。
(こうやって文字に起こすととても痛々しいのは昔も今も同じ)
あれからどれほど経っていようが「落ちていく瞬間」はかたちを変えつつも自分の好きなイメージとして心に焼き付いている。
ドリップしたコーヒーは絶対に最後の一雫まで眺めるし、舌を絡めるキスをしたときは唾液を強請る。
上から下へ落ちて拡がる。
その心地良さに魅せられるし、満たされる。
こじらして考えを続けてみたら、人間でも置き換えてしまえた。
「落ちていく」わけではないけれど、「失っていく」はなんとなく似ている。
出会いの歓びを右腕に抱えながら、いつか来る別れをもう一方に持つ。
そうして自分のもとへ落ちてくる余韻を飲み干したいのだ、と。
主人を銀貨30枚で売るユダもそんな気持ちだったに違いないね。
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