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紫がたり 令和源氏物語 第二百七話 少女(十六)

 少女(十六)
 
その年の八月に六条の大邸宅は完成しました。
もう秋になろうというところで中宮の為の秋の庭には色とりどりの花が咲き乱れて艶やかです。
薄が伸びやかに穂を揺らし、木々は黄色く色づきはじめました。
ここは以前から中宮が馴染んでいる庭なので、造作を昔のままに残しつつ、滝を配し、立体的に紅葉などが映えるよう工夫が凝らしてあります。
 
紫の上の春の庭は春に賞翫する植物、五葉、紅梅、桜、藤、山吹、つつじなどを植えさせ、秋口に咲く花なども取り混ぜたので、この時期でも楽しめるようになっておりました。
次の春までには草花もしっかりと根付き、さぞかし見応えのある庭となるでしょう。
 
花散里の夏の庭には生命力みなぎる青々とした呉竹を配しました。
それに見合うよう澄んだ泉を作らせて、夏を思わせる涼しげな造作です。
思い出の橘が植えられているのはもちろん源氏の心遣い。
他にも次々に花が咲くように、薔薇、撫子、竜胆など、身近で野趣あふれる草花が花散里の気安い人柄を表すようで趣深いのです。
 
明石の上の冬の御殿には松が多く植えられました。
石の灯篭が置かれ、雪が降った日にはその情緒を楽しめるよう工夫がされています。
源氏は山野の原木をそのまま運ばせ、あの明石の浜の御殿や大井の山荘と似た雰囲気の庭を作り上げました。
それは京内とはいえ、少しでも尼君の心をお慰めしようという配慮なのでした。
 
そうして秋が訪れる頃に紫の上と花散里の姫が共に六条院に移りました。
この二人は大臣となってからの源氏を共に支え、あらゆる家内の手配や装束の差配など分担して行っていたので、文を交わし合い信頼し合って親しくなっておりました。
あまり大仰にとは思わなくとも、牛車を十両以上も連ねての道行になります。
紫の上の供には四位、五位以上の殿上人が何人も随伴し、花散里の姫の傍らには夕霧が控えての大行列です。
大路をしずしずと進んでいく一行に世の人々は源氏の晴れがましい権勢を見たのでした。
 
それから五、六日ほど遅れて秋好中宮が内裏を退出して六条院に移られました。
中宮の庭はまさに今が盛りとばかりに秋草が咲き乱れております。
源氏はそれぞれが行き来できるよう廊を掛けたので、早速中宮から義母・紫の上への挨拶が贈られてきました。
女童が運んできた箱は美しい蒔絵が施してあり、その中には中宮のお庭に咲く秋の花や紅葉などが吹き寄せのように収められておりました。
 
心から春待つ園はわが宿の
   紅葉を風のつてにだに見よ
(あなたが春に心を寄せているのは存知ておりますが、時期は秋、この美しい紅葉をおすそ分けいたしましょう)
 
紫の上は中宮のそんな御心がうれしく、うふふ、と微笑むと女房たちを庭に下ろして土と苔を採らせました。
その御箱の蓋の上に土と苔を盛り、石を置いて松を飾らせました。
その松の枝に結び文をして中宮へのお返事とします。
 
風に散る紅葉はかるし春の色を
    岩根の松にかけてこそ見め
(紅葉がはかなく風に散ってしまうのもよいですが、やはり常盤樹の松こそ春の象徴でございましょう)
 
この松は実は精巧に作られたもので、中宮やお付きの女房たちもこの紫の上の茶目っ気たっぷりのお返事を楽しまれたのでした。
 
十月になり、ようやく明石の上と尼君が六条院に移りました。
相変わらず控えめにひっそりと移られましたが、源氏は他の夫人たちと同様に立派な儀式を整えて迎えたのです。
末摘花の姫、五節の君、そして出家した空蝉も二条邸東院に迎えられ、これぞまさに源氏の栄華の象徴のようであるのでした。

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