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紫がたり 令和源氏物語 第二百九十五話 梅枝(六)

 梅枝(六)
 
源氏が極上の調度品を誂えさせたり、絵物語を集め、草紙なども吟味していると聞くにつけても、内大臣は悔しくてなりません。
本当であれば源氏と張り合って自分も同じように逸品を選んだりして雲居雁を華々しく入内させるところであった、と口惜しいのです。
雲居雁はこぼれる花のように、春宮の女御となってもおかしくないほどの器量に成長しましたが、疵物の烙印を押されてはそのような身分にはふさわしくないのです。
内大臣はこの重苦しく停滞した状況を苦々しく思い、あの時夕霧を許すべきであったという後悔の念に苛まれております。
夕霧は今や宰相の中将、まごうことなき大臣の器を持った逸材です。
見目形も麗しく、素行に至っては父・源氏よりも真面目で思慮深い好青年です。
他に婿を探そうにもこれ以上の者はいないでしょう。
あの時は怒りにまかせて夕霧に辛く当たってしまいましたが、どうして大宮が間をとりなそうとした時に首を縦に振らなかったのか。
内大臣はちょっと偏屈な所があり、プライドも高いので、源氏が頭を下げてこない限りは譲れないという思いがあったのです。また源氏が息子可愛さにへりくだると踏んでいたのが、思惑が外れた形になってしまいました。
近頃では夕霧も雲居雁を諦めたような素っ気なさで、内大臣はしぼんだように暗い顔をしている娘が不憫でならないのでした。
夕霧は雲居雁を忘れることができず、未だに熱烈な恋文を送ってはおりましたが、それを面には表しません。
賢く思慮深いので、内大臣の性質を推し量って控えめにしているのです。否、何よりも六位の浅葱の袍と雲居雁の乳母に馬鹿にされたことで自尊心を深く傷つけられたのでしょう。
乳母の言葉は即ち内大臣の夕霧を見る目なのです。
そう思うと、せめて納言にまでに出世しなければ再び求婚しても無駄であろうと自分の中で一線を引いたのでした。
このようにじっと夕霧は耐えているのでしたが、その心裡を知る者は誰一人おりません。
父の源氏でさえも同様です。それどころか源氏は夕霧に別の姫を娶らせようと説いて聞かせるのです。
平安時代の貴族というものは、北の方がいることで社会的に落ち着いて見られるという傾向がありました。
夕霧はもう十八歳。
身分の高い貴族の子息などは元服してすぐに親の決めた縁談(後ろ盾になるような家柄との婚姻)で妻帯しますが、夕霧は大学に入ったこともあり、結婚が遅れておりました。
朝廷に仕え、中将となるまで出世しても未だ妻をもっていない状態なのです。
近頃夕霧ほどの公達ならば是非にと右大臣や中務宮(なかつかさのみや)などから縁組の申し入れが後を絶ちません。
父である源氏としてもいつまでも居場所が定まらないようではと心配しており、夕霧の胸の裡を聞いてみたのでした。
しかし夕霧はもう一人前であるので、父にも本当のところを明かしません。
意見はしないまでも、黙して否とも応とも示さないのです。
中務宮が積極的であったので、どこからか噂は流れ、源氏の了承のもと密かに縁談が進行しているかのように世間には広まりました。
それを聞いた内大臣の心中たるや想像するも気の毒ながら、雲居雁こそ絶望で胸が塞がる思いです。
その噂が聞こえてきた宵に夕霧から雲居雁へ手紙が届けられました。
 
つれなさは憂き世の常になり行くを
        忘れぬ人や人に異なる
(あなたのつれなさは知っておりますが、それを思いきれない私が人とは違っているのでしょうか)
 
雲居雁にはこの夕霧の手紙さえも疑わしく、涙で視界が霞んでゆきます。
 
限りとて忘れがたきを忘るるも
     こや世になびく心なるらん
(あなたは私の事を忘れられないとおっしゃいますが、よその婿に行かれるというのが世の流れというものなのでしょうね)
 
夕霧はこの手紙の返事に首を傾けました。
夕霧は承諾しておりませんが、まさか中務宮の姫とのことが雲居雁の耳に入っているとは知る由もなく、どうしたことかと訝しんでいるのでした。

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