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紫がたり 令和源氏物語 第二百九十六話 藤裏葉(一)

 藤裏葉(一)
 
明石の姫の入内の準備で湧いている六条院において、夕霧だけが取り残されたようにぼんやりと物想うことが多くなっておりました。
心に浮かぶはもちろん雲居雁のこと。
目を閉じれば別れた時の可憐な姿がありありと甦り、恋しくて胸が締め付けられるように苦しくなるのです。
六年の歳月に隔てられてもよくぞ執念深く想っていることよ、そう夕霧は己の尋常ではない心持ちに自嘲の笑みさえこぼれます。
しかし源氏から結婚を勧められたことで改めて雲居雁への想いを新たにした夕霧には右大臣の姫や中務宮の姫であろうと、たとえ皇女を賜るという沙汰が下ろうとも他の女人と結婚する意志はないのでした。
あの気難しい伯父・内大臣も近頃では心が弱くなっているという噂なので、何食わぬ顔で雲居雁に通って事実を作ってしまえば、それはそれで許されるような雰囲気ではありますが、この青年は誰よりも誇り高いのです。
今更そのようになってはこれまでの六年が無駄になってしまいます。
ここは今しばらくじっと耐えて、伯父が折れてくるのを待とうではないか、と己に言い聞かせるのでした。
たとえそれが二年先でも、三年先でも、不名誉で体裁の悪い始末をしでかすよりはよいでしょう。
とかく無鉄砲になりがちな若人とは明らかに違う、まことに思慮もあり、自制心を兼ね備えた優れた君でありますが、その心は裂かれるほどに狂おしく雲居雁を一途に想っているのでした。
 
一方、内大臣は夕霧と中務宮の姫の縁談の噂を聞いてから心が平静ではいられません。もしも夕霧が北の方を定めれば雲居雁の相手も一から見つけなければならないのです。
しかし夕霧との浮名は世に知れ渡っており、いくら大臣の姫とはいえそれに相応しい婿が見つかるとは思えないのです。
プライドの高い貴族には疵物の姫を北の方に据える者はいないでしょう。
中流の受領あたりが名乗りを挙げるかもしれません。どのみち大臣が生きている間は姫を大切にするでしょうが、もしも居なくなった時に粗略に扱われるようなことになれば不憫です。
想い想われた相手が世間ももてはやす貴公子となれば、これ以上の者がありましょうか。
ここはあちらの縁談がまとまる前にこちらが折れて夕霧を婿に迎えたい、と真剣に考える内大臣ですが、それまでが含むところが多く、公で会っても目も合わせないようにしていた御仁なので、決まり悪いことこの上ないのです。
何かの折りにでもこちらの気持ちをそれとなく伝えたいものよ、そう内大臣が頭を悩ませていると、近々亡き大宮(内大臣の母)の御命日で法要があることに思い至りました。
まるで大宮もこの縁を固める方に力を貸してくれているようではないか。
ご都合のよい限りですが、内大臣にはそう思われてならないのでした。

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