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⑫ 道徳に命をかけたことで子どもたちの心はどう変わったのか?/学級崩壊

学級崩壊(がっきゅうほうかい)とは、学級が集団教育の機能を果たせない状況が継続し、通常の手法では問題解決が図れない状態に陥った状況を指す。主に日本の小学校に関して1990年代後半に新聞やテレビなどのマスコミが使うようになって広まった表現とされている。

学級崩壊とは…?

1. 道徳の時間の子どもの反発がきっかけとなる


前回は子ども達が感情のコントロール スキルを身につけていった実践を紹介しましたが、今回は週に1度の道徳をどのように行っていたか紹介します。

☟ 前回の投稿はこちら ☟

今は道徳が教科化され、週に1度道徳の授業があるというのが当たり前ですが、この学級を受け持っていたのはそれよりも前なので、正直道徳というのは、そこまで重要視されていなかったように思います。ですが当時の私にとっては毎週待ち遠しい大切でたまらない1時間でした。

「道徳に命をかける」

タイトルにそう記載されていてきっと 「命かけるなんて大げさだよ~」と思っている方も多いと思いますが、全く大げさでも何でもなく、 私は毎週1時間だけある道徳の学習に賭けていました。

理由はというと・・・
子どもたちの「心を育てる」という行為が、 学習の位置付けの中で堂々とできるからです。

クラスで何か問題行動が起こった場合、1時間だけ学活にしてみんなで話し合う…。こういう経験をされたことのある先生は結構いらっしゃると思うんですけど、当時の私が受け持っていたクラスはそもそも問題行動だらけだったので、授業をそんなに潰すわけにもいきませんでした。それにそういう子ども達は、話し合いの時間をとったところで、お説教のように感じて指導は入りません。だけど、それが道徳だった場合、時間割にちゃんと位置付けられているので、堂々とクラスみんなで問題行動について考えたり、話し合ったりできるのです!

そのことに気づいてから、 私は道徳の授業が待ち遠しくなりました。 当時、教科書はないので副読本から資料が選ばれているので、 その中から授業をします。

「今週はこの資料だ! いっしょにみんなと考えていくぞー!」
張り切って授業に臨んだ私でしたが、その甘い考えはすぐに打ち砕かれました・・・。

「友だちには親切にした方がいいって言ってほしいの?」
「どうせ○○って答えてほしいんやろ?」
子どもたちの口からこういう発言ばかりが出て、 全く道徳の授業になりませんでした・・・。

道徳の資料が悪いわけじゃないんです。きっと私の授業も下手くそだったのもあるでしょう。 ただ、心がもう荒れてしまってる子からしたら何でも斜に構えて見てしまうので、普通の資料では心が動かないということがわかりました。

それからというもの…私の執念の資料探しが始まりました!そしてこの2つに助けられました。

2. 執念の資料探しがもたらした効果


【①モラルジレンマ授業】

ジレンマ教材は二つの道徳的価値が対立するように描かれています。 子どもたちはAなのかBなのか、 どうしてそう考えたのかモヤモヤした状態をなんとか理由付けして筋の通ったものにしていこうとします。
答えがハッキリしていないからこそ、子どもたちは真剣に考えていました。今は検索したらたくさん出てきますが、当時はそこまで・・・だったので本を買いました。資料はたくさんあるんですが 【ハインツのジレンマ】 が1番有名です。

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