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早寝早起きは、絶対的な「善」なのか?

わたしはズボラな人間である。

早起きが苦手で、休みの日は眠れるだけ寝る。
家事や事務仕事は苦手で嫌いだからギリギリまで後回しにする。
 
掃除はなるべくしない方向で、こりゃそろそろ無理だと思う自分なりの限界が来るまでやらない。
 
夏休みの絵日記は夏休み最終日に全部書いてたし、
学生時代はテストは一夜漬けでなんとかしていた。
 
子どもができても相変わらずその調子で、 
朝はギリギリまで寝てダッシュで息子をたたき起こし、わたしも息子も休みの日は目覚ましをかけずに昼まで眠るのが至福の喜びだ。
 
しかし、このように堂々と

「わたしはズボラだ」
と言い張れるようになったのは、実は最近のことだ。

なぜかというと、世の中的には
「早寝早起き」「規則正しい生活」が
「良し」とされていて、

わたしのようなズボラで気ままな暮らしは
「悪」「恥ずかしい」イメージがするからである。

さらにわたしが「主婦」ということもあり、
ズボラ人間は、なおさら「ダメダメ感」が出る。

実際周りの主婦の方たちの話を聞くに、
どうやら毎朝早く起きて、休みの日でも規則正しい生活をしているっぽい。
 
するとなんだか恥ずかしくて、
自分の生活を人に話せなくなってくる。

さらにダメダメ感を確信させるトドメの一撃として、
うちの旦那が規則正しすぎる生活をしている。
 
わたしのズボラが浮き彫りになってしまうのだ。

しかし、わたしがズボラだ、ということは、
本当に悪いことで、恥ずべきことなのか?と考えると、そんな気がするけど、実はそうでもない気もしてくる。
 

世の中にはさまざまな職業や生活パターンの人がいる。
たとえばシフト制で不規則な生活にならざるを得ない医師や看護師さんなどはもちろん、サラリーマンだって9時5時の会社出勤の日以外の休日は、疲れを取るために爆睡していることもあるだろう。
 

わたしだって息子が学校に行く日は先に起きて、息子をたたき起こすし、自分の仕事がある日は支度の時間を逆算して、間に合う時間に起きる。ただ、間に合う「ギリギリ」まで寝てやろうと思うのが、ほかの方たちと異なる部分かもしれない。
 
別に社会生活で困るほどではないし、それなりに健康だし、
「人間失格」なほどのことはない気もするが、
 
なぜここまで自分に「ダメダメ感」が漂うのだろうと不思議だった。

それが、
今日たまたま息子の学校からのお便りを読んで、
これかもしれないと思った。

それは「早起きで規則正しい生活は正義だという刷り込み」である。

そういえば息子の小学校のおたよりも、中学校に入ってからもらってくるお便りも、必ず「規則正しい生活を」「早寝早起きを」と書いてある。

いや、息子どころか、わたしが小さいころからも「早寝早起きをしましょう」「夏休みでも生活リズムを崩さないようにしましょう」と言われ続けているのである。
 
おそらく科学的根拠もあるのだろう。確かに仕事で昼夜逆転だった時代は、身体が常に重だるかったし、寝すぎた日は逆に寝すぎて身体がだるい。医学的データなどでもそのほうが健康であるという論拠があるのだろう。
 
そう考えると、「一般的には」毎日のリズムを崩さないほうが良いだろうし、休みの日にも同じ時間に起きたほうがいいのかもしれないが、
 
「わたしの惰眠」という幸せを捨ててまで、
しなければならないことなのだろうか?

それができないと、ダメ人間なのだろうか?
 
ズボラ生活だと、絶対に不健康になるのか?
 
おそらくそんなことはないのだと思う。

しかし、長年これを「善き行い」として目にしてきたわたしにはやはり、
早寝早起きをせず、規則正しくない生活は後ろめたい気がしてしまう。
 

「早寝早起きをしましょう」
「規則正しい生活をしましょう」
というのは、自分が幸せかどうかとは別の領域の話で
それを守らないといけないものではないはずなのに、
私たちは不思議とそれが法律であるかのように感じてしまう。


しかしこれは、気候が安定している日本だから成立する文化であって、全世界にあてはまるかというとそうでもない気がする。

海外、とくに南ヨーロッパでは昼寝の文化「シエスタ」がある。
夏の昼間は「暑くてやってらんねぇよ」ということで、店を休んで昼寝する。その代わり夜は遅くまで酒を飲んで楽しむ。
 
シエスタがあることで規則正しさはできているかもしれないが、早寝早起きとはかけ離れている。
 
日本人もスペイン人も同じ人間なのだから、早寝早起きが正解なのであれば、スペイン人のほうが早死にするはずだが、そうでもなさそうだ。そして気候によってそれが変わるのなら、わたしたちの早寝早起き、規則正しい教はすこし厳格すぎる気がする。

 
こういう教訓的なものは
「こうしたほうが一般的には健康になれるっぽいよ?」
という提案レベルで、取り入れるかどうかは個人の自由にゆだねる程度がちょうどいいのではないかと思うし、


いまの私たちは「こうするべき」にとらわれすぎて
自分の好きなことや幸せを感じることを置き去りにしているように思う。

わたしも長いことその「すべき」に囚われてきたが、
人生半ばにしてやっと、「したいようにする」を堂々としようと思えるようになった。なかなか時間がかかった。
 

今日は木曜日。

少し疲れが出てきているので、今週の日曜日が待ち遠しい。


土曜日は息子の学校も、仕事もあるので、
土曜日の夜は唯一の夜更かしができる日。


大好きな夜更かしと朝寝坊が楽しみな木曜日の今日である。

ブログチャレンジ10日目達成!

今日もお読みいただきありがとうございました!


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