SDGsを冷めた目で見てしまうアラフィフのつぶやき
もともと、環境問題に疎い。
アラフィフのわたしが幼少の頃より夏の気温が爆上がりして不快だけど、それが「地球温暖化」とか”社会問題化”すると、いまひとつピンとこない。
戦争とか災害とか、差別とか貧困とか暴力とかについては、個々の問題にとても心を痛めるし、怒りや嫌悪を強く感じる。
だけど、わたしが冷めているのか、世間が熱いのかわからないが、「SDGs」みたいな取り組みは、すごいなぁと思う反面、なんか引いて見てしまう。
なぜならそこに「自分たち人間がやらかした反省」みたいなものが感じられないからだ。
産業革命で工業製品を作るようになって、じゃんじゃん作って気づいたら汚染物質を垂れ流してました。とか、便利だからペットボトル作りまくったら海洋汚染してました。とか、権力者が甘い汁をチュウチュウ吸ってたら一部の富裕層を除いて一般民がめちゃくちゃ貧困になりました、とか。
いま問題になっていることは、ぜんぶ「人間」がやらかしたことだ。
なのに、さも「自分たちが起こしたわけじゃない問題に気づきました」の体であることが気持ち悪い。意識高い系?
自分の世代がやったことではなくても、人間の文化が進んだ結果、そうなっている。それを意気揚々と「なんとかしようぜ!」とマジメな社会問題としてとらえることに違和感を感じる。
そして、問題の根幹は、「なんとかしようぜ!」と言ってる人以外にあると思う。
そのSDGs問題に、汚染物質を多く垂れ流している国は積極的に参加しているのか、一般ピープルを貧困にして甘い汁を吸っている独裁者は興味を持っているのか?
そこをなんとかしないと、なんとかならないんじゃないかと思う。
地球の歴史は56億年。その間にいろんな生物が生まれ、何らかの理由で絶滅し、それでも生き残った生物が莫大な時間をかけて進化し、今に至る。
その後誕生した人間の歴史って笑っちゃうほど短くて、そんな人間がやらかしている環境汚染とかって、地球から見たら鼻くそレベルだ。こんな愚かな人間が、自分でやらかしたことを「大変だぁ」と騒いでいる姿を冷めた目で見ているのではないかと思う。
とはいえわたしだって戦争も貧困もクソ暑い地球に住むのも嫌だ。快適に、ぬくぬく暮らしたい。
だけどわたしの意思とは裏腹に世の中は変化していく。
だから自分に与えられたこの場所で、まずは自分が健やかに、自分の周りにできることをしていこうと思う今日この頃だ。
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