”自己肯定感”ってほんとに必要?


久しぶりの投稿になってしまいました。。。

あけましておめでとうございます。

皆さんは2020年どんな年でしたか?

私は振り返れば嫌な思い出ばかり目立って、コロナで仕事に影響が出たり、

なんと言っても離婚したことが大きな出来事になりました。

その中で、友人や家族に助けられて、新たな生活をスタートさせて、私にとって新しいこともたくさんありました。

悪いことばかりでもなかったなと思います。離婚をして、もちろん辛いことや苦しいことがたくさんのしかかってきたけど、手を差し伸べてくれる人がいる。それだけでも、全部がダメになったと思った私にとってはありがたいことで。

こんなことになって、”結婚したばかりなのに離婚をした女”とレッテルを貼られていたとばかり思っていましたが、人生を諦めなくて良かったと思っています。

そんなこんなで昨今のキーワードと勝手に認識している”自己肯定感”

”モテる女”には必須だとも言われていますね。

私はこの一年この言葉にかなり重荷を感じていました。なぜなら、私は”自己肯定感”がないから。正確にいうと、考えたこともなかった。もしかしたら、この歳になっても、、、と恥ずべきことなのかもしれません。

ただ、自己肯定感ってなんだろう。

Googleで調べてみました。

”自己肯定感とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉であり、自尊心、自己存在感、自己効力感、自尊感情などと類似概念であり同じような意味で用いられる言葉である。”

とのことです。正直違和感さえ感じます。

欧米ではこういう考え方が主流で、こういう考えを持っているから欧米の方々はハッピーなのだみたいなのがありますが、その根底には小中学生の頃からディベートしてきた経験値や価値観の構築に圧倒的な差があったり、教育方法の違いなどあらゆることから考えられるので、急に付け焼き刃程度に自己肯定感が。といわれても正直なところ、えっ、どうしたの。という感情くらいしか生まれてこないのです。

”自分の意見を持ち、自分の言葉で主張する力”が必要とされるのは確かです。私も大事だと思っています。

しかし、この言葉を意識して自己肯定感があることを自負してしまうのはまた違う気もします。自分に自信を持つこと。それって客観的に見てどうなのか。他人の評価と自身の評価があまりにも乖離していたりすると残念に思えてしまうのが正直なところではないでしょうか。

どちらかと言うと私は”自己肯定感”はそこまで必要ないかなと思っています。

大事なのは知ること。受け入れること。

等身大の自分を認識すること。愛したり、愛されたり、そんなことはあとでもいい。然るべき時に然るべき縁が自然と自分をそうさせてくれるから。

これは、ただの私の価値観になると思うので小娘が戯事並べてんな、程度に読んでいただければと思います。

私が人に魅力を感じるのは、”今の自分”と”なりたい自分”のギャップを認識し、その差を埋めようと必死にもがく姿や、”社会の一員としての自分”の姿を取っ払った瞬間に魅力や親近感を覚えます。

いつもと違う相手が垣間見える瞬間っていうのは、ある種シャッターチャンスで、誰かと一緒にいる時に絶対に逃してはいけない瞬間だと思っています。その積み重ねが自分を知ることにもつながる。

それを感じ取るのは何よりも自分の”第六感”。

肯定感っているのかな。自分を愛すことや認めることが先立って、相手を知ることが不足してないかな。相手を知ることは自分を知ることなのです。

そもそも自分の個性というのは”自分では何も感じていなかった部分を相手に見つけてもらって初めて個性と言える”と思っています。相手がいなかったら成立しない。ということも言えます。

私が何度も読み返した、養老孟司さんの「ぼちぼち結論」という本から引用すると

”そもそも違いとは、他人が感覚で捉えるもので、自分の中にあるものではない。いくら個性的な人でも、無人島で一人で暮らしていたら、個性もクソもない。「お前は変なヤツだなあ」といわれて、「エッ、どこが」と怪訝な顔をしているのが個性であり、「私の個性はこれです」などと主張するものではない。”

まさにこれで、自分から主張していくものではないんです。

他者との関わりから、初めて自分を認識できる。それにわざわざ自分に対する過剰な意識こそ不要だと思っています。自己肯定感を意識することこそ無駄ではないのかとさえ感じます。

大事なのは”相手の個性を見つける力”、他者と関わるうちに意見があったり、合わなかったりすることがある。それを重ねていくことで、自ずと自分を知ることができる。それこそが”自己受容”になる。足るを知ることになるのです。

さらに引用すると、”そもそも「自分で意識している個性」なんてものがあったら、ぎこちない人生になるであろう。俺の個性はこうだから、こうしなくっちゃ。そんなことを思いかねない。冗談じゃない、素直にしていて、そこに自ずから人と違うところがある、それを個性というのである。”

無理に個性を意識しすぎている印象が強いのがこの”自己肯定感”という言葉。

これがないと生き残れない、いい恋愛ができない。そんなことは幻想だということです。

”足るを知る”というのが割と適切かと思うのが、等身大の自分を知ること。知ることだけで十分だと思います。他人に押し付けることもせず、自分で私は”こんな人間です!!!”ということもなく、他者との関わりで自分が成立していることを認識することこそ、他人と時を共にしていくにあたって大事な意識だと思います。

自尊心の一人歩きこそ怖いものはないですから。

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