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わたしにとって価値あるモノ

いつだって私は無い物ねだりで

わたしより多くのモノを持っている人に嫉妬し
わたしより優れている人を妬んだりする

それは不毛なことであるとわかっていながら

だけどその感情は無駄ではないとも思う

人に嫉妬することで
いまの自分に無いモノを数えるのと同時に
いま有るモノに気付くこともできるから



車窓から見える住宅街を見下ろして
まだこんなにも知らない世界があるのだと
ふと考えたことはあるだろうか?

あのアパートに住む人や
川沿いの土手を散歩する人は
きっとわたしの知り合いではないし

あの道もその道も歩いたことはない

そんなの当たり前なんだけど・・・

出会った人の数だけ、知り合った人の数だけ
自分の見える世界は広がっていくわけで

そう思うとほんのちょっとだけ
自分のことをちっぽけなモノだと
感じるときがある


社会人になってから
学生時代の同級生を街で偶然見かけることが
ないのはなぜだろう

もしかしたら本当はどこかですれ違っていて
私だけが顔を忘れてしまっていたのかもしれないし
前を見ずに歩いているときや
電車でスマートフォンに夢中になっていたときに
偶然そばにいたかもしれない


まわりをよく見ながら生きていたら
一から十まで出会った人すべてを記憶していたら
必然に近い偶然は数多く生まれていたのだろうか

横の繋がりというものを一つ一つ大切にしていけば
この車窓から見える住宅に住まう誰か一人と
繋がることができるのかもしれない
なんて思ったりする


わたしはやっぱり
無いモノねだりのタラレバ女


高校に入学したとき
母に言われたことがある

「高校生の頃に出会った友人は
一生の付き合いになるから大切にしなさい」

わたしは小学生の頃から
他人のことも自分のことも
心から信頼することができなかった

気を許せる友人なんて
一生できないと思っていた

(小学生・中学生時代はいろいろあった・・・)

それでも母の言葉を信じたおかげで
今でも仲良くしている友人が数人できた

学生のころは毎日のように連んでいたけれど
今はそれぞれ違う場所で働いている

休みもほとんど被らないので
年に数回くらいしか会わないけれど
それでもこの仲は揺るがない


大人になって思う

母の言うことは正しかった


社会人になると社交辞令という
便利で厄介なものを学び

人生の大半を仕事に費やすようになる

するとどうだろう

仕事仲間という関係性や
SNSで出会った間柄の人たちと
気を許せるような仲を築くには
かなりの時間を要することになる

仕事を辞めてしまえば
もう会うことはないかもしれないし

SNSに関してはフォローを外しただけで
もうどこに行ったかもわからなくなったりする

いや、コミュニケーション能力に長けている人は
そんなことないのかもしれないけれど・・・

少なからず私は
そういう人と疎遠になりやすい(コミュ症)


(私だってもっとフォロワーさんと仲良くなりたい
・・・という気持ちはちゃんとあります!)


大人になってから
新しい人間関係を作るのは意外と難しい

だからこそ長い付き合いになる学生時代の友人は
一人一人がとても大切な存在

きっと母はそういうことが言いたかったのだろう

しかし多くを望むよりも
たった一人でも気心知れた友人がいたなら
それが価値なのだとわたしは思う


価値というモノは人だけじゃなく物事にもいえる

今はスマホひとつでなんでもできる時代

サブスクリプションで映画やアニメが観られて
CDを買わずとも音楽を聴くことができて
コミュニケーションツールはSNSが主流となった

手軽に始められることは便利だけど
映画やドラマや音楽の価値は
ほんの少しだけ薄くなった気がするし

SNSという広いようで小さな世界に夢中になると
フォロワーや評価の数に一喜一憂して
次第にそれが執着となってしまうことがある


たしかに便利な世の中


だけど私はそれらをほんの少しだけ
無機質なものに感じてしまうときがある

一つ一つの物事に
しっかりと心が乗っていないような感覚

(人と人が繋がるSNSに関しては例外もあるけれど)

たぶんそんな世の中に生きる人たちは
こころの片隅でほんの少し寂しさのようなものを
感じている


だからこそ時を経ても無くならないモノがある

CDやDVD、フィルムカメラや手紙など

手に触れられる形でモノを残すことの価値は
きっと一生なくならない

そしてわたしは
それらを尊いモノであると思い続けたい


プレゼントにそっと添えられた
手書きのメッセージにすこしだけ嬉しくなって

映画館でポップコーン片手に
大きなスクリーンで臨場感を味わって

大好きなアーティストのCDに心躍らせたい


わたしの価値あるモノたちを
広いようで小さな画面の中に収めたままでは
新しいものに埋もれてすぐに忘れてしまう


だから私は目に見える形で残していきたい


ぜんぶじゃなくていい

多くなくていい


価値あるモノが部屋のあちこちに散りばめられ

忘れたくない思い出を
クローゼットにある小さな入れ物に
大切にしまってあるくらいでいい


それがわたしにとって価値あるモノ


花崎 由佳


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