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環境や人間関係を手放すことで生まれる、漠然とした寂しさと焦り。

以前の記事で、わたしが会社員からフリーランスに転身した時のお話をさせていただいたのですが、今日はそのお話を深掘りしてお届けをしていけたらと思います。



それでは本題に入っていきます。


前回の記事で、わたしが5年間勤めた仕事を辞め、転職を迎えるタイミングで、思い悩んだ原因についてこう表現した。


「環境を変えることで
自分の栄光が失われることへの漠然とした恐れ」


これは転職だけでなく、一つの物事に区切りがついたタイミングや、人生の節目のようなタイミングにも当てはまる。

例えば、定年退職、子育ての手が離れた、恋人と別れた、学校を卒業して社会人になるとか

人生の中で幾度となくこのタイミングは訪れ、そのスタートとゴールまでの期間が長ければ長いほど寂しさや悲しみは大きくなる。


それは単純に人と人との別れによる悲しみなんかとはワケが違う。

悲しみと一緒に、寂しさや不安、焦り、すなわち焦燥感と呼ばれるものに苛まれる。この感情の正体こそが、さっき申し上げた長ったらしい太文字の文章だ。

引用した記事の中ではこの言葉で表現をしたけれど、もっと最適な言葉を見つけたので、今回はその言葉を用いて、この後のお話を続けていこうと思う。


「環境を変えることで
自分の栄光が失われることへの漠然とした恐れ」

すなわち

「無価値観」


どうしてこの言葉がパッと思いつかなかったのだ。こんなに最適かつ簡潔でわかりやすくて、なんかカッコいいキーワードないだろう。

語彙力のなさを恨む。

それはさておき。

つまりは読んで字の如くではあるのだけれど、自分が必要とされていたり、活躍できる環境で、自分と時間を共に過ごした人がいなくなることで、これまで積み上げてきた居場所や価値、信頼や実績や経験というもの、それを語ってくれる人がいなくなってしまうからこその焦燥感であるわけだ。


ではこの「無価値観」を払拭するためにはどうしたらいいのだろうか?


それは大きく分けて2つ

新しい「生きがい」を見つけること

自分は価値のある人間であると無条件に思うこと


いやいや・・・
そんなの簡単に見つかったら苦労しないの!


そう思った方もいらっしゃるだろう。


でもとりあえず今はそれでいい。
これを読んでくださっている時点でもう解決の糸口は見つかっていると言っても過言ではないのだから。


(うわっ・・・胡散臭いなコイツ・・・)


って思っただろうか?

まだ画面を閉じないでほしい。


こういった精神論を語るとみんな見てくれないんだ。こういう記事だけスキの数が少ないの知ってるんだから。

これは気の持ちようとか、思い込みとか、そんな目に見えない精神面の話では終わらない。極論でいうと「生きるか死ぬか」みたいな話をする。



まずは一つ目

「生きがい」について話していこう。


私は「生きる意味」については正直ないと思っている。

むしろ人生の中に散りばめられた「生きがい」をどれだけ多く見つけることができたかで最終的に「意味のある良い人生」を手に入れられるような気がしている。

それを見失ったままでいると、あっという間に身も心も滅ぼされてしまう。命を落としかねない。そうなる前に気がついてほしい。

はじめは些細なことで良い。

朝一杯のコーヒーをいつもより良い豆で淹れてみようとか、新しいメイクに挑戦しようとか、観葉植物を育ててみようとか。


「今更なにを始めたって
この寂しさは埋められないよ・・・」


って思っただろうか。
考え方を変えてみてほしい。

貴方はいま人生における生きがいを失ったのでない。
新たな生きがいを探すための岐路に立っているんだ。

私の祖父母の話をしよう。
おじいちゃんは定年後まで街の事業団に属し、家では畑作業、私が高校生になる頃まで自分で軽トラを運転していた。
それがおじいちゃんにとっての生きがいだった。
それから私が高校を卒業するタイミングで実家が引っ越し、大きな畑がなくなり、運転免許も返納して間も無くした頃、物忘れが加速した。

その数年後に亡くなり、そんなおじいちゃんの側でいつも寄り添っていた明るくて優しかったおばあちゃんは、一気に老け込み、認知症を患った。


「生きがい」と言うのはそういうものなんだ。


寿命だったのだと言われればそれまでだけど、死ぬことに場所も時間も選べない。だとするならば、来るべき瞬間まで人生を楽しまないでどうする。


大それたことをしようとしなくていい。

そんなふうに考えるから不安になる。

プライドなんて早々に捨て置くべきだ。

過去の栄光が眩しいと思うから、それ以上の生きがいを探したり、それ以上の価値を見出そうとしてしまう。


「そんなのもう見つからないよ」って思うだろうか。

遠くを見ようとしていないか?
誰かの人生と比べていないか?

自分が「羨ましい」と思えることは、自分だってやろうと思えばできることなんだ。例えば、テレビの向こう側の俳優さんやプロ野球選手に嫉妬することなんてほとんどないだろう。

(目指してる方がいたらごめんなさい・・・例えです)

嫉妬心を原動力に変えるんだ。


二つ目の

「自分は価値のある人間であると無条件に思うこと」

については

この生きがいを見つけられた時点で、自分に価値を見出すことはできているはず。


なぜなら生きがいというものは
”与え合うもの”であるから。

ここであえて大袈裟なことを言おう。

あなたが衣食住を得ることができている時点で、誰かに生きがいを与えることができていて、同時にあなたは価値を得ているんだ。


なんのこっちゃわからないだろう。


「価値=お金」と例えるとわかりやすいだろうか。


あなたが洋服を買うお店にも、スーパーにも、不動産にも、それを売ってくれる店員さんがいるだろう。

その人たちはなんのために働いている?

仕事に対する熱意は様々だと思うけど、価値を売り、生きがいを感じるために働いているはずだ。

でもお店に誰も人が来なかったら、それを手に取ってくれる人がいなかったら、その店員さんたちは価値も生きがいも見失うことになる。

ファンがいてアーティストがいるように、観客がいて選手がいるように、生きがいを与え合うことで価値が生まれている。


この世の中そんなふうに上手く回ってるんだ。


「そんなの綺麗事だよ」

って思っただろうか?
そう思うならそう思ってればいい。


そんなこと言ってるうちに、あなたの周りからどんどん生きがいは遠ざかり、そのかわりに「死」が近づいてくるだけだ。

それをなにもせず、考えもせず、待っていたいと言うならそうすればいい。

少なくともここまで読んでくれている人は
そうは思っていないと信じている。


驚かせてしまってごめんなさい

なにが言いたいかというと

あなたはこれまでよく頑張った

その栄光が眩しすぎるから
次に進むのが不安なだけなんだ

その焦燥感は努力の証だ

忘れないでほしい

あなたは生きているだけで
すでに価値ある人間だということを

あなたはよく生きている




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花崎由佳(はなさきゆか)

フリーフォトグラファーをしながら
メンタル心理カウンセラーもやってます

日々の小さなお悩み、人間関係のお悩み、
自己肯定感や自分らしさのコーチングを
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