見出し画像

私の背骨のはなし その8

脊椎側彎症だとわかる以前から、運動はあまり得意ではなかった、と思う。運動神経が鈍い、という以前に、早生まれで、5歳までは一人っ子。のんびりしていたので、今となって考えてみると、人と競う雰囲気のスポーツにピンと来ていなかったということもあるかと思う。それにしても、幼稚園の運動会では、よーいドンの太鼓が鳴っても、スタートしてこないわが子を見つけて、走りなさーい!と念を送ったり、たらたらと走り出したと思ったら、周りをキョロキョロ。両親を見つけると、手を振ってニコニコルンルン。ゴールを目指す気持ちなどさらさらなかったのに違いない。

そんなわが子に母は、走るのが遅くても楽しめるスポーツを与えてくれた。水泳は、浮かべるようになれば楽しいよ、泳ぐのだから、走らなくていいんだよ、と。最初は顔を水に浸けるのが嫌で泣きながらの日々ではあったものの、継続は力なりと続けさせてくれたおかげで、小学中学時代を通して、体育の授業では水泳に救われ赤点を取らずに済んだ。1キロ、2キロの遠泳も難なく泳ぎ、自信を付けることも出来た。そして、もう一つは、スキー。斜面に立つことさえできれば、斜めになっているんだから、走らなくても誰でも滑れるよ、と。早めに始めさせてくれたおかげで、中学でスキー学校に行く頃には、得意になって滑り、検定を受けて、これまた自信をつけさせてもらった。

スキーに夢中になった中学時代、友だちの紹介で通うようになった越後湯沢の民宿。そこに泊まる時だけは、保護者無しで友だちと行っても良い、というOKをもらったのをよいことに、中学3年間は毎年冬休みと春休み、できるだけ長く滞在した。しかし、電車代、宿泊代、食事代にリフト代、スキーはお金がかかる。もっとスキーがしたい、、、と、高校の冬、思い立って、民宿のおばさんに居候させていただけないかとお願いした。おばさんと言っても、当時はまだお姉さん、立場は、その家のお嫁さん。義理のお母さんである、おばあちゃんにきいてみるね、と言って下さった。この頃、繁忙期のお手伝いは、おばあちゃんの地元のお友だちのおばちゃんたちが普通だったので、おばあちゃんの反応は、東京の高校生の女の子なんて何ができるの?という感じだったらしい。そこを、おばさんはうまく頼み込んで下さった。

おばさんの顔に泥を塗ってはいけない!とまで、当時の私は考えることはできていなかったけれども、大ボスは、おばあちゃん。わからないことは、おばさんにききながら、とにかく言われたことは全部やる、できるだけ早くやる、同じ失敗は2回しない、という気持ちで張り切った。苦手の早起き、お客さんの朝ごはんの盛り付け、配膳。チェックアウト後の部屋の掃除、布団を上げて掃除機をかけて、こたつの上などの拭き掃除。お茶道具のセッティング、ゴミ集めなどなど。その間中、おばさんが、元気いっぱいの声で、楽しく話しかけてくださるので、全く苦しいことはなく、むしろケラケラと笑いながら、毎日楽しかった。そして、一番大変なトイレ掃除は、おばさんがやるからねー、その間に〇〇やっといてー、と軽~く言って下さり、一度も担当したことがなかったことに、後になって気づいた。

スキーは早朝から出かけて行くお客さんが多いので、朝ごはんが早い。時には5時台から起きて、朝食の片付けが終わり、お客さんを送り出し、掃除を途中までやると、10時頃。お茶にしよ~!コーヒーがいい?お茶がいい?何食べる?と。何をやりかけていても、やめちゃってー、一回お茶で休憩だよー、というおばさんの声で手を止める。おばあちゃん、おばさん、お仕事がお休みの日はおじさん、お手伝いの近所のおばちゃん、みんなで炬燵に足を突っ込んで、お菓子をあれこれむしゃむしゃ、ミカンをむいたりしながら、楽しいおしゃべりタイム。20-30分すると、おばさんが、さーて、残りやっちゃおっかぁ!その一声で一斉におもむろに立ち上がり、お湯のみを下げようとすると、おばさんこっちやっとくから、続き行っちゃって、と。とにかく、面倒なことは、おばさんがささっと率先してやって下さる。その姿に、私もよーしがんばるぞ!と気合が入る。

お昼に差し掛かると、今日は新しいお客さんは何組だから、この部屋はいいや、明日にしよ、これでおしまい!お昼ご飯にしよう。食べたら、スキー乗っておいで(滑っておいで、という意味)、と。夕飯の支度はおばさん、おばあちゃんと二人でやっとくから、ゆっくり4時くらいまで行って来ていいよ、と言って地元の人用の無料リフト券を渡してくださるのだった。無理矢理頼み込んだ居候だったにもかかわらず、学校が始まる直前、東京に帰る日が来ると、ハイこれ、アルバイト代、と言って毎回封筒を渡して下さった。居候ですから!と固辞しても、おばあちゃんも助かったって言ってたんだよ、もらっといて、と差し出して下さった。飛び上がるほど嬉しい言葉だった。

母に与えてもらったスキーというスポーツのおかげで、雪山と雪国に恋をして、雪国の大好きなおばさんとも出会えた。私の人生で、「仕事」に対する考え方、人を気持ちよく動かすこと、人の上に立つ場合の姿勢など、たくさんの大切なことをこの方から学んだことは間違いない。上の人(おばあちゃん)下の人(私)両方に気持ちよく仕事をさせて下さり、良い関係になるように取り計らって下さったこと、言葉にしていない気持ちの動きを敏感に感じ取り、先回りしてスムーズに事が運ぶようにして下さったこと、言いにくいことを言い出しやすい雰囲気にして下さったこと、失敗を素知らぬ顔でやり直しておいてくださり、次は失敗しないように導いて下さったこと、数えきれない。

S字に曲がった背骨、速く走ることが出来ない、逆上がりも二重飛びも出来ないし、ボールを投げても足元に落とす。放っておいたら、下を向いて生きていたかもしれないところを、出来ることを見つけて背中を押してくれる母がいたから、新しい世界が広がり、素敵な出会いがあり、大きな学びがあった。これが今の私の土台。

つづく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?