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【エッセイ】吹奏楽部の顧問をやってみたはなし。

教員として4年目の春を迎えている。(今日は春休み。)
別の記事で書いたように、3年間教えた子たちを卒業させるという節目がこの春にあった。詳しくは以下の記事にて。

さて、この春もう一つの節目を私は迎えた。
3年間つとめた、吹奏楽部顧問を辞める
先に伝えておくと、私は吹奏楽経験者ではない。楽器は、幼いころにピアノを習っていたけど、楽譜が読めずにすぐやめた。
ぐちゃぐちゃととりとめなく書いてしまいそうなので、一応チャプター分けしてみる。


吹奏楽部顧問になった経緯。

3年前、着任した時に配属について教科主任から電話があった。
伝えられたのは、高校1年生の担任であること(初任から担任なことに驚いたが)吹奏楽部顧問になったこと。
私は少し驚いて、慌てた。
先述の通り、楽器経験はほぼない。
指揮や音楽指導なんてできるわけない。そのあたりがどうなっているのか、聞き返すと、➀指揮は外部指導員に任せていて、音楽の指導は基本的にその先生がやっていること②顧問は3人で、1人の顧問は長く務めているので③私がやる仕事は、楽譜のコピーや大会への引率くらいだということ。

ふーん、じゃあまあいいか…。
そう思って電話を切った。特段やりたい部活動が他にあるわけでもなかったので、まあとりあえずは様子見て頑張るか、そう思った。

ただ、気にかかるのは、なぜわたしが?ということだった。
これは働き始めてから実情が分かったのだが、吹奏楽部顧問という仕事は本当に人気がなく、次から次へと人が辞めまくっていたようだ(管理職の面談で、この仕事は降りたい…というと、割と融通してくれる)。

そこで、新人が入ることが多かったようである。

音楽に、感動する。

着任し、少し経って部活のことを考える余裕もできた頃に、
新入生歓迎演奏、というのを(自分も新人教員だということで)客席で聞かせてもらった。
3年生引退前で、部員数は60人近くだったと思う。
ものすごい迫力で、吹奏楽の云わずと知れた名曲、銀河鉄道999を演奏してもらった。

これは、本当に名曲すぎるので、吹奏楽に興味がない人も一度聞いてほしい。よく演奏会のアンコールなどで演奏されるが、本当に感動する。

自分が今まで足を踏み入れてこなかった領域ではあるけど、月並みだけれど音楽の迫力に感動し、普通にこの仕事を頑張りたいなと思ってしまった。

はじめてみたら、めっちゃ大変。

大変だったことを挙げるとキリがないので、
箇条書きにしてゆく。

➀ お金の管理
吹奏楽はお金が要る。綺麗事を書きたくないので敢えてありのまま書くのだけれど、強くなるためにはお金を少なからずかける必要もあると思う。
・演奏会などの会場費、設営費
・楽器の購入費、修理費
・指揮者の先生、各楽器のコーチへの謝礼
・楽器運搬のトラック代

などなど、
数十万単位のお金が動く。
収入源は、生徒から徴収する部費、学校からの助成金だが、
基本的にこの収支管理の記録、管理に途方もない時間がかかった。
スプレッドシートなどにまとめるのだが、会計報告の時のチェックや毎月の部費の支払い状況の確認はかなり手間だった。かつ、大会費用の振込など責任の伴う仕事も多く、金額がとにかく大きいだけに大変だったなと思う。

② 拘束時間
吹奏楽の大会は、楽器運搬、楽器の設置、生徒の管理(自治体によるのかもしれないが、控室などが用意されていないのでロビーや荷物置き場で本番まで過ごす)、リハーサル、本番、写真撮影、終わったら楽器の積み込み、積み下ろしなど、とにかく拘束時間が長い
大会は基本的に夏にあるので、夏休みの時間を費やすことが多く、生徒の気持ちに寄り添えば、上位大会へ進むことも楽しみなことなのだが、その分だけ夏休みが短くなっていくという感じだった。

演奏会も同様で、本番までに楽器の運搬と音出し、リハーサルにとにかく無限に時間がかかる感じだった。

③ 演出など
何か演奏会などをやるときに、基本的に演出(照明、MCなど)は部員が考えるのだけど、それが実現可能なのか、会場の方と打ち合わせるのは顧問なので、希望の演出が通るかどうかの相談、通らない場合は、そのことを生徒に説明、などなかなか煩雑な仕事だった。

また、立て看板、吊り下げ看板など大きめのものの準備、補強などそもそも単純な力仕事もあり大変だった。

④ 大会役員
自分の学校は、都道府県大会までは常連(たまにそれ以上の大会まででることもある)くらいの位置にいた。一方で、一応勉学を主軸としている学校であるため、所謂本当の「吹奏楽強豪校」ほどの活動時間は確保できない。

そのため、他校との合同練習や発表はあまりやらないのだが、顧問をやっていると(これはどの競技でもそうだが)大会の運営をやらなければならない。大会役員は出場する学校の顧問に連盟の方から、役割をそれぞれ与えられて丸1日大会の運営にあたる。しかし、この仕事は日当がでるわけでもなければ(学校の方から出張手当が出ているため)、みんな大忙しで、きちんと仕事をやっているか確認しに来る人もいない。

そんなこんなで、役員をやっていると、一緒に仕事に入っているはずの先生が来ない、集合の時のみいるが、あとは連盟に断りを入れてほぼずっと不在である、などのことがよくあった。(どうもそういう学校は、その人がワンオペで仕事をまわしている、だったり、あとは単純に音楽が専門の偉い先生で、付き合いでいろんなひとと交流するためにいない、だったりする。後者の場合は、「あの先生偉い方なので…」みたいな雰囲気もあり、連盟からかなり謝罪を入れられた。少し腹が立って文句も言おうかとおもったが、連盟の人がかわいそうなのでやめた。)

ざっくりとそんな感じ。
この中でも特に、「拘束時間の長さ」がネックとなり、わたしは2年目の終わりころから別の部活動にうつることを検討しはじめた。

吹奏楽を、離れるとき。

それでも3年も続けたのは、やはり部員の姿と、奏でる音楽に感動してしまったからだと思う。

特に、3年目に引退する3年生たちは自分の所属していた学年で、部活と勉学の両立の難しさ、部活を引退してからの勉強への気持ちの切り替えなど、様々なことを間近で目にしてきた。

3年生の最後の演奏の披露の場である定期演奏会で、
自分のクラスの子が華麗なドラムソロを披露したときは、本当に涙腺がゆるんだ。

彼らが旅立って、いろいろと時間ができ、やはり別の部活に移りたいと管理職面談では話した。長期休み(夏休み)が削られるのは痛い。実家に帰る時間すらない年もあった。部活のせいでへとへとになるのは、自分の教員としての働き方には反すると思った。

別の部活動にうつる予定であることを部員に発表し、最後の大会の引率をした。その大会は、1月の大会の上位大会で、出られたことが幸運だと思ってしまうほど、周囲には強豪校しかいなかった。

本番を終えて、肩の荷が下りた部員たちが戻ってきたとき、
遠くから女子生徒が何かに怒っている。
「なんで先生、顧問やめちゃうんですか?!わたしたちの卒業までいてくれるんじゃなかったんですか?」といわれた。

そんなにストレートに何かに引き留められるのは久しぶりだったと思う。
私は、音楽指導してきたわけではない。お金の仕事をしたり、下校が遅いと少し怒ったり、くらいのことしかしていない。
でも、少し泣いてしまった。

申し訳ない気持ちもありながら、来年度もこの子たちの観客でいよう、と思った。

ちなみに、そんなことがあった今週の動画はこれです。






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