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大学院の授業で、自分の強力な固定観念に気づいたお話。

私は現在、立教大学大学院リーダーシップ開発コースに通っている、修士2年生です。

2年生の春学期の授業で、「人材開発・組織開発実践論」という授業があるのですがその授業で気づいた、自分の強力な固定観念について今日はまとめようと思います。


人材開発・組織開発実践論の授業について

人材開発・組織開発実践論の授業は、合同会社あまね舎の齊藤光弘先生(以下、みっちゃん)が担当している授業で、以下の目的で学んでいます。

組織開発の取り組みにおいて、効果的な介入を行うために必要となる実践的なマインドやスキル、知識を習得することで、受講生が、よりフットワークよく各自の現場に対して、必要なアクションに取り組めるようになること。

授業では、実践的な学びが非常に多く、実際にクライアントを持ったつもりでプレゼン資料を作成したり、チームを組んでWSを開発&提供したり、ただ知識やスキルを学ぶだけではなく、実践を通して、自分の血肉にしていくような感覚があります。

その中でも、自分の強力な固定観念について気づいた授業がありました。

私の中にある、強固な固定観念

授業は全部で8回あるのですが、最後の授業で、このような事前課題が出ました。

今回の一連の授業を踏まえ、改めてご自身が関わる組織開発プロジェクトの中で、取り組んでみたいこと/ 果たして行きたいけど、恐れや不安を感じてしまう行動や、過去の経験の中で組織開発的な取り組みについて、取り組もうと思ったけどうまくいかなかったことはどの様なものでしょうか?
あなたを進ませないようにする強固な固定観念は何でしょうか?(信念や価値観、態度、思いこみなど)はなんでしょうか?

自分自身、上手くいかなかったプロジェクトやクライアントワークがあったので、それとまた向き合うのは勇気がいりましたが、ここはきっとそういうことを学ぶ場だと決意し、ワークに取り組みました。

そのワークに取り組んで見えてきたのが、自分が持っている強固な固定観念でした。

固定観念とは、「心の中にこり固まっていて、他人の意見や周りの状況によって変化せず、行動を規定するような観念」と『大辞林』第三版では定義されています。

つまり、強力な自分の考え方、価値観とも言えます。

過去を振り返りながら、内省していくうちに見えてきた自分の強固な固定観念。

それは、こんなものでした。

人という存在は無条件に大切にされ、尊重されるべきである。

自分の辛かった過去の経験

この強固な固定観念がどこからきているかを振り返ると、社会人1-2年目に適応障害で休職した頃の経験が大きく関与していると思っています。

適応障害で休職した時、こんなことを言われたなと未だに覚えています。

「頑張っていないから、こんなことになる。考え方が甘い。」
「みんなあなたに期待をしていたのに、裏切るのね。」
「誰もあなたを信頼していないし、必要としていない。」

当時はもちろんひどく傷ついて、なかなか立ち直れず、カウンセリングに通った時期もありました。

言葉というのは怖いもので、言われ続けてしまうと、本当にそうなのかもしれない、と沼にハマってしまうんです。
「必要ない」と言われれば、「私って必要ないんだ」と感じるし、「考え方が甘い」と言われると「もっと頑張らないといけないんだ」と感じます。

もちろん、厳しい言葉が機能する時もありますが、少なくともそれは信頼関係が充分に築けていて、その人のことをよく理解しているからこそ機能する言葉です。

信頼関係や相手の特性や性質も知りもしないのに、厳しい言葉や自分が思ったことをただ投げつけるのは、暴力にもなりえます。

私はそういう、他人の尊厳や権利を傷つけてしまいかねない言葉に非常に敏感です。

だからこそ、他人の尊厳や権利を傷つける言葉遣いや態度を取っている人を見ると、(私がそう解釈すると)嫌悪感と怒りを抱いていまします。

これは、当時の傷ついた自分が見え隠れするからなんだと思います。

そういう言葉で、態度で、傷つく人がいるんだよ、それをわかってその言葉や態度を取っているの?と当時の傷ついてきた小さな私が叫んでいるような感じですね。

強固な固定観念とどう付き合うか

では、この強固な固定観念とどう付き合っていくか、ということを考えた時に、私は、まずは自分が感じた怒りや嫌悪感をなかったことにしない、ということを大事にしようと思っています。

怒りや嫌悪感は、感情であって、表出しないようにコントロールができても、感じないようにするということは難しいです。なので、感じてしまう自分を否定するのではなく、「ああ、私はいまこう感じているなあ」ともう一人の自分が眺めているような、受け取り方をします。

その上で「目の前の人にも、その人が大切にしている世界がある」と心の中で唱えるように繰り返します。

それでも感情がおさまらなかったら、当時の傷ついてきた小さな私に対して「あなたが攻撃されているわけではないのだよ」「自分がなんとかせねばと思わなくて良いよ」と伝えてあげます。

そうすると少し落ち着いて、メタ的に物事が見れるようになるので、今はこういったやり方で、自分の強固な固定観念と向き合っています。

あと、自分以外の他者の力を借りることも有効だと考えています。

モヤモヤした時に、「この人のこの態度や発言に対して、私はこう感じた」と他者に伝えた時の自分の反応を見ることで、自分が何を求めているかがわかるようになります。

共感して欲しいのか、フィードバックして欲しいのか、怒りを止めて欲しいのか。私は話を聞いてもらいながら、自分のニーズに注目して、その時に感じた自分を観察しています。

私が思う、強固な固定観念が自分の中であらわれた時のポイントは、メタ認知ができる状態を自分でできる限り作ること。

そして、自分の強固な固定観念と向き合った時に、自分の過去の経験が大きく関与していること、それが反応してしまって、怒りや嫌悪感の感情に結びついてしまうということに気づきました。

この気づきを得ただけでも、とても大きな収穫だったなと思います。

強固な固定観念は、裏を返すとそれほど自分が大切にしたい考え方や価値観だったりします。

今後も、自分にも他者に対しても、固定観念を排除するのではなく、歓迎する姿勢を大切にしたいです。

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