読書録:言語哲学大全II 序章

こんばんは。

表題の本の表題の章について読んだので、簡単にまとめたものを投下します。

数年前から何回も読んでいる本なのですが、読み返すたびにいろいろ忘れていることに気づかされるので、今回はちゃんとまとめようと思った次第です。


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章のタイトルは「必然性小史 - アリストテレスからフレーゲまで - 」


・古代の哲学(アリストテレス)、
・近代の哲学(ヒューム・カント・ミル)、そして
・フレーゲの哲学(現代の分析哲学の萌芽)
において「必然性」がどのように扱われたかについて、当時の問題意識と絡めて簡単にまとめてある。


【アリストテレスの哲学における必然性】

古代の哲学において重要だった問題意識は「世界の秩序」。

「世界とは何か?」「存在とは何か?」などのような、存在論的、形而上学的な問いが中心。

そのような問題意識の中で、科学的知識の体系化の出発点となる原理として:

・論証的知識は、必然的な原理から由来する(知られているものは別様にありうるものではない!)

という要請をする。

ここで「必然性」は、認識者に依存するものではなく「ものそのものに由来」する「ものの存在を構成する必然性」であり、経験的にしか発見されないとしても必然的真理となる(以下の「近代の哲学における必然性」の「カントとミル」のところと比較、または以下の(1)(A)の部分など)


【近代の哲学における必然性】

近代の哲学において重要だった問題意識は「我々(私)は何を知りうるのか?」と言った認識論的なもの。

このような変化に伴い、「必然性」の概念は二つの影響を受ける:

(1) 「必然性」と「確実性」が混同される。

(2) 必然性を「自然に関わる必然性」と「数学や論理に関する必然性」の二つに分けることが一般化する。

(1)について:

(A) 確実でないことは必然的ではあり得ない

(B) 必然的でないことは確実でない(例えば、経験的事柄はそうでなかった可能性を考えることができるという意味で必然的でないから、確実な事柄ではない)

という議論を受け入れている哲学者が多かった。

((B)の反例:「私は存在する」は確実だが必然的ではない)

(A),(B)の両方を受け入れているところまで行かなくても、(A)を受け入れている人は多かった。

(2)について:

(2-1) 「自然に関わる必然性」に対するヒュームの批判

過去に観察された規則性が明日にも破られる可能性は常に存在する
→過去に観察された規則性が将来も守られると信じる合理的根拠はない
→確実でない
→必然性がない((1)の(A))

注意:この議論は「自然において必然性が存在するか」のような古代の問題意識の中にはなく、「その必然性が我々の認識の中で然るべき位置を持ちうるか」のような「近代の認識論的問題意識の中」にある。

(2-2) 「数学や論理に関する必然性」に関するカントとミルの議論

近代の哲学において必然性の残された部分は数学や論理に関するもの。
・カントは数学や論理の持つ必然性を守り抜こうとした。
・ミルは必然性を完全に追い出そうとした。

(2-2-1) カント
・論理的真理は認識を実質的に増大するもの(綜合的なもの、と呼んでいる)ではないから、当然必然性を持つが、「当たり前」以上のものではないとされた(これは不当な評価であるが)
・必然的であって綜合的なものはあるか?
→カント的には数学
・数学以外には物理学の「純粋な部分」(これが何を意味しているかはとりあえずスルーしている、歴史の話だしね)と形而上学もカント的には必然的かつ綜合的。

(2-2-2) ミル
・すべての認識を徹底的に経験に帰すことで論理からも必然性を追放する(論理ですらも、我々の経験からの一般化の中で最初に獲得して最もよく見られているものとして経験に帰着される)
・疑問:このような態度で合理的な探究というのが果たして可能なのか?
→このような態度のもとでは命題の真理性は心理的現象以上のものはなくなり、正当性が与えられない。


【フレーゲの哲学における必然性】

・フレーゲは近代で「必然性」の概念に向けられた批判を次のような考えによってスルーしている:

(1) 論理は、思考の可能性のための条件である。
(2) したがって、思考するということはすでに論理に従っている。
(3) よって、論理法則がなぜ正しいのかと問うことは(その問い自体が思考に属することであるから)無意味な企てである。

この結果、例えば論理法則については、

・「論理法則が真であることの根拠」は問題にしない。
・「我々が論理法則を真であるとみなすこと(!)の根拠」を問題にする。
→認識論的問題をスルーできる!

・「諸真理の間の依存関係」という「客観的であって非現実的なものからなる領域の存在(☆)」のような場所にある関係性を理解することで、諸真理を真とみなすことの根拠を強固にする。
・フレーゲは(☆)のような場の存在を認めているという意味で「プラトニスト」である。
→ヴィトゲンシュタインはこの「プラトニズム」に根底から反対し、必然性の問題に新しいアプローチをする:論理実証主義、規約による真理
→第一章「論理実証主義の言語哲学」へ...

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