<閑話休題>年を取ること、そして・・・
(掲題の画像は、コタキナバル動物園にいるピグミーエレファント。成長した象でも、人の大人ぐらいの高さにしかならない、世界でも貴重な生物となっている。)
年を取ってくると、それまで頭でわかっていても、実感としてわかっていないことが沢山出てくる。
その最初は、年が近い人たち、友人や知人の死だろう。私は昨年二歳下の妹を亡くした。父は高校三年の卒業式の後に亡くしている。母はお陰様で健在だが、やはり一昨年大きな手術をした。そして、最近同い年の友人二人がガンの治療を行った後、別の職場の同期が白血病で亡くなった。
他にも、昔よく交流した人たちが、人づてに聞いてみると、既に亡くなっていたということが多くなった。もちろん、自分より年上の親戚や職場の上司などは、次々と逝去している。
そして自分の身体だ。仕事をしているときは、ラグビーの試合をしているときと同じで緊張感があるためか、まったく症状が出なかったが、定年退職して約三か月後から、あちこちが痛みだした。
まず、右手人差し指が曲げられなくなり、手の平全体に及ぶこともある。左肘と左肩に慢性の鈍痛がある。また、これは仕事をしているときからだが、ぎっくり腰と脊椎管狭窄症が治っていない。鍼灸などの各種治療をする一方、散歩や体操などのリハビリで症状は軽減しているものの、完治まではなかなかいかない。なお、腰用のサポーターを使うと長距離歩行ができるので、腰回りにサポーター代わりの筋肉を運動(体操)でつけるしかないと思っている。
身体のダメージが一番酷かったのは五月初めのことで、夜風呂に入っていたら突然の激しいめまいで二日間寝たきりになり、三日目に救急車で搬送された。また、今も朝起きた後に、ときおりフラッシュバックのように気分が酷く落ち込むことがある。他にも悪夢を見ることもあり、こうした悪夢は仕事がらみのものばかりだ。こうした後遺症から考えると、仕事で相当に心身を酷使していたのだと、今更ながら思う。
ところで、亡くなった人が帰ってくることはないし、痛みが簡単になくなることはない。今より身体が一層元気になるとか、血圧などの数値が勝手に改善することもない。言うなればこうした症状はみな金属疲労のようなもので、先日高額な支払いをして交換したマンションのガスコンロのようなものだ。・・・つまり、新品の部品に交換する以外、最終的な対処(修繕)方法はない。
だからと言って、このまま「痛い、かゆい(実際、いろいろなところ、特に背中がかゆくなる)」と嘆いていても仕方ない。これから死ぬまでは、この恒常的な痛みたちと上手に付き合っていくしかないのだ。もちろん、友人・知人・親戚の訃報は自分が長生きしている限りは次々と聞くことになるだろう。もちろん、実母の死に際しては様々なことをしなければならない。小さいながらも実家や墓の処分もある。
そういうわけで私は、痛みを避けるためといっても、そうそう簡単にこの世からおさらばできない事情があるのだが、そうした「ノルマ」を果たしたら、もう私のこの地球での役割は終わるのだと思っている。そしてそれまでは、一種の修行と思って、せいぜい毎日を真摯に生きていくしかないようだ。しかし・・・痛いよ!
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