見出し画像

今、教育に最も大切なのは…

春。

中学2年生の時に出会った先生に憧れて教師の道を志し、5年の時を経てようやく目標とした教育学部へ入学。
「シラバス」だか「シーバス」だか分からないものの登録に苦しめられていた時期から解放され、ようやく落ち着いて授業を受けることができ始めた所だった。

教育論、教育心理学、教育社会学…。

周りには「だるい」「長い」「何言ってんの?」などと文句を言いながら受講する同級生が多かったが、私は前のめりだった。

私が教員を志したのは中学2年生の時。
勤勉かつ努力家、メリハリがあり生徒からの信頼も厚い素敵な先生への憧れからだった。
先生のようになるために、学校教育法と教育基本法の区別がつかなくても前進するしかなかった。

アルバイトも始めた。
学童保育の先生と運動教室のコーチという2役を担いながら子どもたちと関わっていた。

「子どもたちとの関わり方が教育において最も大切だ」

高校を卒業し大学に入学するまでの間、お世話になった先生方と話をしたが、多くの先生がそう答えた。
私も同じ考えだったからか、その言葉はスッと心に入り、私の教育の軸になっていた。

学童保育では子どもたちの宿題や友達との関りを見ながら考え方や心情に焦点を当てて丁寧に対応を。
運動教室では子どもたちが持つ「困難さ」を「成長」に変える支援を。
毎日が新鮮で、心から教育を楽しんでいた。

しかし、そんな“私の教育”が終わりを告げる時が来る。

5月も終わりかけの水曜日。
運動教室のアルバイトが控えていたため、曜日は明瞭に覚えている。
8時30分から始まるその授業は「教育論」だった。
教育学部の先生が週ごとに代わり、毎回異なる内容を教えてくれる授業。
その日の担当は、入学当初に一度全員の挨拶をしたきりの先生だった。

しかし、何故か信頼はあった。
英語はペラペラ、海外の教育機関との繋がりもあり、周りの先生からも話題に上がる。
雰囲気も賢明ながら優しさに包まれている。

前の机や後ろの背もたれに全体重をかける生徒が多い中、私は「どんな教育の話をするんだろうか」と背筋を伸ばして待ち構えていた。
授業が始まり、自己紹介をそこそこに先生は私たちに向かって質問した。

「みんな、仕事において会社に最も負担のかかるお金って何だと思う?」

お金?なんでそんなこと聞くんだろう。
そう思いながらも考えた。


機械?
いや、仕事によってまちまちだよな。
じゃあなんだ?
設備か。
仕事によって違うけど、一定の設備代はかかるだろうし。


考えがまとまりかけている間に1人の学生が答えた。
「人件費です!」
「そう、人件費だ。」
この時点で正直ハッとさせられていた。
今考えると当たり前であるが、その当たり前はこの時を境に培っていった。
私はすぐに、伸びていた背筋をより伸ばして先生の言葉に夢中になった。

授業の折り返しくらいの時間だっただろうか。
“会社の負担となるお金”の話から、先生は授業を展開させていた。
すると突然。


「教育も同じなんだよな」

この授業で初めて“教育”という言葉が出てきた。
そう思いながらノートを取っている時に先生は私たちに言い放った。


「つまり今、教育に最も大切なのは経済の力だ」


ノートを書く手を止めた。
いや、止まったのだと思う。
経済に関する知識が全くと言ってよいほど無かった私に、その言葉がストップをかけたんだ。
その時点で意味は分かっていなかったが、先生のその後の話で納得させられる。
言っていたこと全ては覚えていないが、おおよそ次のように話していた。


教育は最もお金をかけなくてはいけない分野である。
人手、仕事環境、研究費。
日本は教育にお金をかけられていない状況にある。
この問題には「経済発展」の視点を欠かすことはできない。
この状況を変えるために何をすべきか。
教育への考えを改めると言ったことは解決にはならない。
経済的視点を持ち、発展させることで変えていくしかない。


相当説明が上手かったのだろう。
経済的視点の重要性が、この私にも犇々と伝わった。


「教育に最も大切なのは子どもとの関わり方である」という“私の教育”はこの時の先生の言葉をきっかけに終わりを告げた。
いや、“私の教育”が「成長した」と言いたい。
先生の言葉のおかげで、先生の授業のおかげで、教育に関して考える幅が広がった。

この経験は、教育を軸として歴史、経済、遺伝など、あらゆる分野について学んでいる今に繋がっているのだと思う。
「教育において何が最も大切か」なんてことは、今の私にはまだ分からない。

大切なものは山ほどある。

「分からない」というのが今の“私の教育”だ。

そして、“成長過程”だ。と、思いたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?