「無意識の意図」ってなんだろう?漫画や映画に絵画など,全ての鑑賞が面白くなる方法
『草の根歴史学の未来をどう作るか』文学通信(2020)に掲載されている論考「奇談にひそむ怪異の正体 夜の悪鳥・悪獣と女」を書きました。
実はこれ,単なる学部生のレポートです。いや,ぼくの大学時代の集大成です。
嘘です。
(大学時代に書いたのは本当です。)
さて,遡ること300年。江戸時代中期の俳人,堀麦水によって加賀・能登・越中にまつわる奇談集『三州奇談』(正編99話,続編50話)が書かれました。その書に収録されている「空声送人」には,「妖籟」あるいは「応籟」と呼ばれる魔物が登場します。
人の名を呼び,うたを歌い,人の後をつけまわす「空声送人」の名前がつけられた妖怪は,「近世のストーカー」というべきでしょうか。このレポートは,この正体を暴くことになります。
(ストーカーを暴くとは,我ながら名探偵だな。うんうん)
説明、省きます
この記事でレポートの内容を書こうと思ったのですが,よく考えると面倒なのでやめました。代わりに,時間があるときに作った,A4の紙1枚にまとめたものを載せておきます。
(気が向いたら記事にします。おサボりで,ごめんなさい。)
「意識」と「無意識」が作る世界
教育学部に通った大学時代には,上みたいな感じの研究をしていたのですが,その中で得たのは「無意識の意図」という概念でした。
(勝手に自分で概念化しました。すみません。)
例えば,今「人の絵を描いてください」と言われると,髪型をちょんまげにする人はいないと思います。でも,江戸時代の人なら書くのではないかと思います。
そういうことです。
無意識だけども,明確な意図がある。それが「無意識の意図」です。
人の行動の中には,意識の部分と無意識の部分があって,その多くは「無意識」によるものだと思います。この言葉を言い換えるとするなら「なんとなくの理由」ですかね。
作品に潜む「作者の意図」
これぼくが描いた「鬼」の字なんですが,なにを意図したかわかりますか?日本人ならみんな知ってる超有名な日本画を眺めていた時,鬼の文字が重なって見えたんです。それで書きました。「超有名な日本画」これがヒントです。
古くから「鬼」の図像は邪悪な存在として描かれることが多いですが,鬼って実在しないですよね?いうならば,想像上の存在です。
また鬼と同様に,その姿を想像し描かれるものには「神」がいます。ムスリムは神聖な神を人が図像化するのはいけないとして,偶像崇拝が禁止されていますが,世界各地で神の姿は図像として存在します。
この「神」の姿と「鬼」の姿ですが,日本ではたびたび姿が重ねられて描かれます。
代表的なものが,17Cに俵屋宗達が描いた「風神雷神図屏風」(国宝 京都市京セラ美術館収蔵 https://kyotocity-kyocera.museum )です。宗達は,室町時代から現代まで,多くの人を魅了する琳派の祖であり,この屏風からは,鬼の姿(元は赤鬼と青鬼)が「鬼神」として描かれた姿を見ることができます。
ぼくが描いた「鬼」の字は,横の動きのある風神と,縦の動きのある雷神を模した作品であります。特徴的な「風袋」や「雷鼓」を第一画で表したりと,明確な意図を持って描いたものです。では,ぼくの作品と「無意識の意図」は,どのように関係するのでしょうか。
作者の意図が人々を魅了する
そもそも琳派は,江戸時代の絵師・酒井抱一が遡ること100年前の絵師・尾形光琳を師と仰いだことで始まった潮流です。実際には琳派という流派(一門のようなもの)は存在せず,近代に琳派として通じる特徴のある絵師をまとめた呼び名に過ぎません。
しかし,その繋がりは時代を超えて深いものがあります。酒井抱一は,尾形光琳の絵を見て感銘を受けたのですが,尾形光琳もまた,100年前の俵屋宗達を師と仰いで,絵を描いていました。その証拠に,俵屋宗達,尾形光琳,酒井抱一の三者は同じ「風神雷神図屏風」を残しています。
すごいのは,彼らが単に先人の残した作品を“模写”しただけではなく,それを自身の中に取り込み,新たな表現をすることで,まったく違う魅力溢れる作品を残していることです。その中でも同じように有名な作品が,尾形光琳の「紅白梅図屏風」(国宝 MOA美術館収蔵 http://www.moaart.or.jp )です。
二つの作品を並べてみると気づくことがあると思います。この先,読み進める前に,ここで一度立ち止まって,じっくりと,そしてぼんやりと見てみてください。
(作品も作品の魅力も逃げないので,安心して!)
気づいたでしょうか?ポイントは「構図」です。わかりやすいのは,向かって左手の「雷神」と「白梅」の図です。どうです?何か伝わってきましたか?
宗達が描いた「雷神」は,右肘から左足に向かい,さらに足先を起点とし,雷鼓を通して,羽衣が右上に抜ける,躍動感ある「Vの字の構図」になっています。
一方,光琳の描いた「白梅」をみると,やはり同様に,木の幹から伸びる枝が,丁度「Vの字の構図」になっていることに気づくかと思います。
もちろんこれだけではありませんが,同様の視点で風神や,中央の余白の部分を見ていくと,2つの作品に潜む共通点がどんどん見えてくるかと思います。おそらく調べると,もっと深い考察をした人もいると思います。
(あ,気になることがあれば,コメントをくださいね!)
作品に現れた「無意識の意図」
今見たように,「風神雷神図屏風」と「紅白梅図屏風」は繋がりが深い作品です。そんなこと初めて知ったよー!って思う人がいたら,得意げに語ってみてください。楽しいですよ。笑
さて,ぼくが描いた「鬼」の字に戻りますね。
さっきも言ったのですが,「鬼」も「風神雷神図屏風」を自身の中に取り込んで,描いた作品です。雷神を模して描いた文字の方も「Vの字の構図」になっています。制作前に,構図の魅力を知っていたからこそ,かなりはっきりと現れていると思います。
ここで1つ,作品を描いた後に気づいたことがあります。それは「なんか梅っぽい」ということです。梅の花は,枝に沿ってポツリポツリと「点」のように咲いているのが特徴です。作品を見てると,筆から滴り落ちた雫によってできた「点」が特徴的に感じます。
「点」は,ぼくが意図的に描いたものではありません。しかし,雫が落ちないように描くこともできたはず。普通の書道なら,そんな余計な「点」は現れないようにするはずです。ではなぜ,この「点」が生まれたのでしょうか。
これこそが,ぼくの作品に現れた「無意識の意図」です。
なんとなく雫を落とそうと思い,呼吸をするかのように自然に,偶然であるかのようで必然的に,筆先から放たれた雫が「点」を打ち,作品が作られました。
「無意識の意図」がつくる宇宙
人の行動には,あらゆる背景が潜んでいます。何かを選ぶときにも,何かを話すときにも。それは,その人が経験した何かが作用しています。この何かには,社会情勢や文化,経済的なバックなどいろいろなものが関わってきます。広告の業界で言われる,サブリミナル効果もその一つです。
そして,「無意識の意図」がもっとも現れるのが,「作品」だと思います。最初に紹介した書物のレポートも,実は作者の「意図から無意識の意図まで」を探り,考察したものになります。そう,全ての作品には「意図」と「無意識の意図」が隠れているのです。
あらゆる作品が面白くなる鑑賞方法の1つが,その2つの意図をぼんやりと考えることだと思います。そして,いろんな人が見つけた意図を知ることが,作品の宇宙とも呼べる,どこまでも広がる無限の魅力に触れることだと思います。
決して,作品の価値は一つだけではなく,作品の魅力も一つだけではないはずです。
おわりに
ちなみにぼくは,自分の作品を見て,自分が何なのかを見つめ直しています。作品を通して自分と対話し,自分は何を考え,何に影響されて生きてきたのかと。なので,ものづくりをしているというより,哲学をしているという感じです。
(これってアートですよね。知らんけど。)
もちろん,作品を見て気軽に楽しんでもらえるのは嬉しいし,それが1番だなぁと思っています。
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