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心の燃料

思い出は、心の燃料だ。いつか心が凍えた時に溶かす為、僕は今その燃料を沢山作っている

数日前、僕は断捨離をしていた。本格的に物を減らす為、僕は机の中に眠る思い出の品々も捨てると決心し心を鬼にしてゴミ袋に色々な物をぶち込んだ。
数Ⅰのノート、古い教科書。漁ると色々と出てきた。
そんな中に、中学生の頃に書かされていた日記帳があった。
卒業間際の頃の日付には、上に書いた様な妙に達観した言葉が書き残されていた。
忘れかけていた感覚が、その言葉と共に流れ込んできた。
そうだ、だから僕は動き続けていた。そして、今もそうなのだ。

少し前、中学生のころの同級生と7年ぶりの再開を果たした僕は、友人と家で色々な話をして、中学校の周辺を自転車でブラブラと歩き回った。
そこには、僕らがそこを歩いた痕跡なんか一つも無くて、ただ自分の中に残ったボヤけた輪郭と重なる風景を探し続けた。その輪郭となんと無く重なる様な気がする、大きく変わらない風景と少し変わった建物がそこにはあった。

 友人と僕は、見慣れた中学校にも入った。友人がこちらに来る週末が丁度文化祭期間だったのだ。こればかりは僥倖だった。
校門をくぐって校舎に入る。こんなに小さかったか、そうぼやいた友人は、少し寂しそうだった。
階段を登り、僕らがいたと一番記憶に焼き付いていた教室の方へ向かった。そこは僕らが走り回って、バカみたいな大声を叫びながら遊びまわった場所だった筈だった。だがそこには、僕らはもう居なかった。だが、居てもいい気がする空間だった。代わり映えしない風景は、僕らを寛容にも受け入れる様な、そんな滑らかな質感を持つ温かさがあった気がした。

僕がいつか心に添えた燃料は、もう燃やし尽くしてしまったのかもしれない。いざ思い出の場所を見てみても、そうそう心を燃やす様な感慨深い何かがあった訳でもなかった。
だが、なんと無く心を温める何かがあった。心の端っこに積もった灰の中に燻んだ燃料が、わずかに赤く光った様な気がした。

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磨りガラスの先の青春

表題に添えた画像は、中学校の階段の磨りガラスと、
そこに落ちる陽だまりだ

ガラスの先、風に揺れる木々の鮮やかさ
郷愁を感じせしめる木漏れ日
それを隔てる一枚の磨りガラス
その先に、僕らはきっと居るんだろう

ただそれが美しくて、切なくて、思わず撮ってしまった
今の僕と思い出を隔てている様な、そんな示唆性に富んだ一枚になった
当時の僕が気付かなかった美しさは、今新しい燃料となり心の燃料となった

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