心技一体・身体を使うということ
ご紹介が遅くなってしまいましたが、
noteでフォローさせて頂いている池ノ上さんが素敵なCDご感想を投稿して下さいました☺️
池ノ上さんは空手をなさる方で、畑は全然違えどなにか感じるものがあっていつも読ませて頂いてました。
私は空手はやったことがないのですが太極拳を長いことやっていたので、
『心技一体』とはどういうことかをよく考えていました。
楽器も結局は身体を使えないと奏でられないので、
いつもいろんな観点からの『身体を使う』を研究しております。
頂いたご感想の中にこんなことが書かれていました。
12の個性が、それぞれを主張…ではないな。
ひけらかしてはいない、でもそうせざるを得ない…を語りかけてくるような。
星をシンボルに見立てて、描き出した星座。
人が考え、託された思いを、願いを…作られたものなのに、応えて示してるように。
そんな印象を受けてる。
すーーーーごく、このご感想が嬉しかったのですが、
『ひけらかしていない、でもそうせざるを得ない…を語りかけてくるような。』
これを読んだ時に、多分、心技一体とはこういうことなのかなと思ったのです。
あるがまま、そのままのその瞬間の自分をあるがまま受け入れる。
これが出来たら自然と身体は答えてくれる。
テクニカルなことももちろん大事だし、
正確さも全く必要ないとは思わないのですが、
テクニックは自分を表現するための手段でしかない。
それよりも、まずは自分がどんな人間なのか知ること。
その上で、それをあるがまま伝えるための身体(テクニック)を磨いていくこと。
武道のことはなんにも心得がないのですが、
音楽だろうが武道だろうがなんだろうが、
人が生み出したものは、人を成長させてくれるためにあるのだと再確認できました。
練習ってどうしても苦しくなりやすい(苦しみやすい)ものだけど、
本当はそうじゃないはず。
自分に問い続けるのは本当は楽しいことのはず。
だって、その問いは自分をよりよく知り、愛するためのものだから。
CDのご感想を頂くたびに、色んな問いを自分に投げかけるチャンスを頂けて、
本当に有り難いです。
こんな時だからこそ、外側のざわつきではなく、自分を見つめる時間にあてていきたいなぁと思った昼下がりでした☺️
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