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映画『海獣の子供』をみたことのはなし

先日、1年近く会っていなかった大学時代のサークルの先輩から

「良かったら海獣の子供を観に行きませんか?」

というメッセージが突然きた。私は嬉しくなって、正直に言うとあまり興味のなかったこの映画を観に行く誘いを喜んで受けた。だって人から誘われたら嬉しいもの。続けて先輩のメッセージには
「君の名は。を一緒に観に行ったから、アニメ映画をみるなら、ゆさんかなと思って」
なんて書いてあって、そんなこと言われた暁には口角が上がって上がって、上がりっぱなしよ。分かるでしょう。

ちなみに映画の内容にガンガン触れながら感想を書き綴るので、『海獣の子供』をこれから観るかつネタバレ厳禁な人は読み進めるのはやめてネ。

さらにちなむと、ヘッダーの写真は20歳の時にひとりでバリ島へ行った時に撮った海辺の写真です。雑踏の中、日の入りに間に合わないかもしれない…!と焦って海へと続く道を走ったなぁ。前置きが長い私のnoteですが、そろそろ映画のお話をしますので、これから先は自己責任でお願いします。


映画を見終わって一番に思ったのは

「この映画を劇場のスクリーンでみることが出来て良かった」ということ。私の中では映像美的な観点からというより、音楽的な部分に因るところが大きかったように思う。もちろん映像の美しさは多くの映画レビューサイトで述べられている通り、美しかったのだけど、それ以上に久石譲の音楽がスッと、本当に自然と心に入ってきて、その調べは美しく恐ろしく、ずっと鳥肌が立っていた。
ここでの恐ろしい、というのは自分の理解を超えるものに対峙した時に感じる感覚で、畏敬の念というか、そういう神秘的なものに対する恐怖で心がざわつく感じ。海獣の子供は全編を通して宇宙だとか、海だとか、生命だとか、そういう人間の理解を超越するもの、人間がコントロール出来ないものについて一種の宗教画のように描いているからそう感じたのかもしれない。
あ、あと米津玄師の主題歌は映画を見た後に聴くと100万倍良いです。
(※あくまで個人差があります)

プロットとして

現実から突然、夢の中に連れていかれて、ずっとふわふわ漂っていたかと思うと、再び気付いた時には現実に連れ戻されているという流れだった。元ハンドボール部のマネージャーとしては、主人公の中学生の女の子が外でハンドボールしていてキュンとなった。夢の中パートというか非現実的な中にも母親と思春期の娘の難しい関係、両親は離婚はしていないけど上手くいっていない主人公の家族、不思議な力を持った少年たちを利用しようとするオトナたちといったものを挟んで、地面から浮遊するのを助けてくれた部分はある。

話はスケールが壮大過ぎて難解な部分が多かった印象だし、正直何を言いたいのかは良く分からなかった。海が母なる子宮でヒトダマ(劇中でそう呼ばれる隕石のようなもの)が精子でみたいなことをメタ的に捉えようとすればそういう意図もあるんだろうな、とか。クジラに飲み込まれるのも旧約聖書にそんな話があったなぁみたいな。深読みすればするほど如何様にも解釈の余地がありそうなお話だった。それでも物語の中でそれらを説明する気は一切感じられなかったし、しきりに【言葉ではすべてを伝えることは出来ない】とか台詞や映画のポスターにあるように【一番大切な約束は言葉では交わさない】というある意味で言語化することを放棄するのを肯定している感じだったから、仕方ないのかもしれない。原作も小説ではなく、漫画だし、絵画的な言語以外のコミュニケーションを重視しているのだなぁという感じ。

私がぐっときた描写

まず映像でいうと、主人公が学校帰りに急な下り道を脚がもつれそうになりながら走ってこちらに向かってくる画。主人公は正面を向いて観客の方を向いているので景色が流れるような映像にアニメーションとして新しい感じを受けた。私が知らないだけで他にもそういう作品があるのだろうか。

それから、ネグレクト気味の母親と家を出ていった父親が主人公が家に不在の時に話すシーン。主人公がいないからこそ、そこでは純粋に妻(女)であり、純粋に夫(男)という存在であるという描写。
「君もルカ(娘)も不器用なんだよ」
「あなたも不器用なのよ」
という短い会話の後に、妻が剥いた桃を机に出すというね。あー、そこ桃をチョイスするのね、ニヤニヤ、と。
そしておそらく二人でその桃を食べた後、玄関に山のように溜まっていた妻が飲んだビール缶のゴミ袋を持って夫が出ていく。完璧な流れすぎて震えたし、個人的にこの映画の中で一番性癖に刺さった描写だった。しかもお互いの顔を映すんじゃなくて、手元とか足元だけなんだよ。サイコー。

それでも言葉で伝えたい

こんなことを言うと元も子もないけれど、いやぁ、私たちはクジラじゃないし海洋生物でもないからソング(エコロケーション)は歌えない。この映画では言葉にすることで抜け落ちてしまうこと、言葉という型に当てはめることで取りこぼすことに対してとても批判的だった。けれど、私たちはコミュニケーションのツールの一つとして言葉を持つのだから、それを放棄するのを正しいように言い切るのはイヤだなぁと思ってしまった。これは本当にあくまで私の気持ちの問題だけれど。だって言葉を信じていなかったら、そもそもnoteなんて書かないもん。かっこいい音楽作ったり、絵や彫刻作ったり、してる。たぶん。

というわけで初めて目次機能を使って感想を書いてみました。どうだろうか。海獣の子供を観た人がいたら、ぜひ色々お喋りしましょう。

そして誘ってくれた先輩、ありがとうございました。

サポート…!本当にありがとうございます! うれしいです。心から。