売上目標はお客様には関係ない
売上目標というのは、お客様にとってはなにも関係がありません。
われわれが目標を達成しても期待いただいたご依頼にお応えできず、満たされないお客様が不安を抱えたままそこにいることを忘れてはいけないと思います。
お客様にとってはどうでもよいことなのに、
売上目標というのは達成すれば安心し、未達成だと不安になります。
未達成だと自分がやってきたことをネガティブな側面から見てしまいます。
酷い例だと、「未達成者には人権がない」的な思い込みです。
ネガティブな側面からみれば、
組織の中ではどことなく達成者と未達成者の間でパワーギャップが生まれることもありますし、
戦術の面でも売上目標から逆算して対応案件数を決めたり、面談数を決めたりするのも、お客様の視点からみれば「KPIなんか設定せずに全力でやってよ」と思われるでしょうか違和感はあります。
企業様も個人の方も、仲間探し、豊かに過ごせる環境探しは終わりがありません。だから、ずっと探し続けるのがわたしたち「理解者」の仕事だとすれば、案件が決まる決まらないという議論より、
「それでお客様のビジョンが満たされ、豊かになるのか」
というイメージがつくまで、徹底的に向き合うことが双方にとってハッピーなのではないかと思います。
そして、目標をおくなら、お客様に共感してもらえて、応援してもらえるものをおきたいなと思います。
ただし、売上目標が一方的に意味のないものというわけではありません。
期限内に高い数字目標を掲げるからこそ、創意工夫が生まれ、限界を越えられることもあるし、協力も生まれます。
競争も健全に行われれば(タイガーウッズが相手選手のハイパフォーマンスを願いながらプレーするように)、お客様に高い価値を提供できることもあります。
だから、正直迷いもあります。
また、スポーツ選手と同じように、プロである以上は結果を残すという責任があります。
そして結果は得点や打率などの数字であらわされています。
イチロー選手や大谷選手は、結果を残した上で美学を追求しており、まずは数字で見える結果にこだわることの大切さも大共感です。
なので、パーパスというものを綺麗事で語るつもりもありません。
今われわれエイトシークエンスは売上主義からパーパス主義への過渡期なように見えます。
そして、パーパス主義を後押しするには、「売上主義とパーパス主義の統合」が大切など感じています。
パーパスの実現を顧客からの評価として売上の側面もきちんとみる。
できるだけ多角的に評価ができるように、
わたしは「自己評価」+「信頼をベースにしたチームでの対話」がベースが成り立つと素晴らしいなと思います。
自分自身で3ヵ月や半期、1年を振り返り、パーパスに基づき、お客様やエイトシークエンスにどのような貢献をもたらしたかを自分で考える。そしてチームメンバーそれぞれが持ち寄り対話する。
そうすると、
・売上は高かったが、お客様の満足の度合いはどうだったのか。パーパスに貢献したか。
・売上はそこまででもなかったが、エイトシークエンスのパーパスにとって大きな貢献をした
・他のメンバーの自己評価を見ると、自分の評価はそこまで高くないかも
・他のメンバーの自己評価が高すぎるのではないか
など、
いろいろな意見が出ます。
それでいいのだと思います。
そこにメンバーそれぞれの価値観が飛び出し、喧々諤々すればいいと思います。
最初は売上が高い人が高い評価となるかもしれません。
でも誰かがお客様からの最高の満足の手紙を持ってきたら、それをどう評価するかを考えるでしょう。
道しるべはパーパスです。
結果、「評価するって疲れるね」ってなっても、それはそれで落ち着くところに落ち着く気がしています。
そしてまた、報酬の差を無くしましょうということでもありません。
個人戦にしたいもありません。
サブパーパスに基づきチームをつくり切磋琢磨したことを互いに健闘を讃えあい評価することはとても美しい姿です。
ひとつ思うことは、パーパスへの貢献に対する理想や志の高い人が心地よくいられる場所づくりは、まちづくりにおいて大切な文脈になるのかもしれません。
いずれにせよ、この街の素晴らしさを追求するほど、わたしたちの“在り方“がこれから世界中の人たちへ影響を起こす未来しか考えられず、だからこそ目的と貢献についてわれわれは考え続けることが大切なのだと思うのです。
そんなことを毎日のように考えています。ティール組織で描かれているのも目標のない世界です。
先日共有した浅草かっぱ橋商店街の「飯田屋」の経営方針を読んで勇気をもらいました。
パーパスへの貢献と働き甲斐(HAPPINESS)を追求することで業績があがるのかという命題にはまだ実感値として答えはありませんが、
大きな流れを感じ、わたしは信じて進み、全く新しい景色を見てみたいです。