ぽかんとして2ヶ月。 感傷的なストーリーをあげるほどもう若くない私は、人が一人いなくなった事実を受け止め、受け入れ、ただ流れるようにして毎日を生きています。 お金を渡してもどうやら幸せにはなれないこと、私が好きになる人はいつもなぜかお金を欲していること、その二つがここ3年くらいの学びです。 「お金くれんねやったら切らんといたる」 私が大好きな関西弁は、こんなものじゃないのになあと思います。 お金がないと成り立たない社会を作った歴史を恨んだり、娯楽のために作られたギャンブル
2022年7月の日記より 私が誰かと遊んだことや話したことを振り返ったり、あの時にと思い出を出してきてみたりする時、それは5月頃だったりして、4月末に別れたことよりもあとの出来事がすでに「懐かしい」になっていることに驚く。まだ3ヶ月も経っていないのに、私はあの頃の私ではなく、あの人もあの頃のあの人ではないのだろう。 別れを決めなければいけない時から、別れた後はもう二度と会えないのだろうとわかっていた。最後に会って話をした時、この部屋から出てしまえばもう二度と話せないのだろ
書くことが大好きだった気がする。丁寧にわかりやすくきれいな言葉を並べるのが大好きだった気がする。私と話すと心が浄化される、汚したくないなと言われたことがあった気がする。気がするけれどもうわからない。 卒業論文の口頭試問で、読む才能も書く才能もない、言葉の使い方が下手すぎると言われた。一生懸命書いた言葉の一つ一つ、全て涙に変わっていった。書きたかった作品で書けなかった複雑な気持ちと向き合いながら、「好きなことで書くのが一番だ」と後輩にアドバイスするゼミの同回生の話を聞き流しな
3月末に第一志望の百貨店から内々定をいただいた。場所だけが納得いかなかったが、彼氏とも別れて、どこにでも行けるだろうと思い承諾をした。 なぜ百貨店なのか。私は人の暮らしや心を豊かにしたいと思った。その時私は本屋で働いていて、プレゼント用と言われなくてもお客さんに時間がある時はリボンでくるくるラッピングをして渡していた。多分上の人にバレたら怒られてしまうが、長居してくれたお子さんには本を買わなくても塗り絵を袋に入れてプレゼントしていた。「誰かにあげるわけじゃないんだけどね、買
「親より先に死んではいけない」 いつも親から言われていた言葉で、すごく重荷に感じていた。生きていても何も楽しくはないのに、親が天寿を全うするのを見守るまで死ねないなんて。 7月7日と8日に、父方の祖父の葬儀があった。通夜の前、祖母宅にもうすぐ霊柩車が来るとのことで、そのための準備を手伝っていた。 「何やってんだよ、本当に何もわかってないんだなお前は。いい加減にしてくれよ。」 「そんなこと言わなくたって!だったらどうするの」「言っただろ!」 祖父はいつも祖母と父が言い合うのを
叱ったり抱きしめたりしてほしい備忘録。元気。
毎日毎晩悩み、泣いて朝を迎える。 朝になる頃には悩みはひと段落し、最終的に「大丈夫な未来が欲しいだけなんだ」という考えに落ち着いて眠りにつく。毎日繰り返しても、大丈夫だったんだった、と悩まず眠れる日は来ないから、これはある種の私のルーティンなんだと思う。 高校1年生の頃過敏性腸症候群になった。同時に心因性頻尿にもなって、自宅以外の場所全てで落ち着くことができなかった。家から駅までわずか5分なのに、その途中で寄れるトイレを考える。電車は一駅ずつ降りてトイレに行く。各駅停車以外
私は家族のなかの裏切り者だ。 私の両親は私が物心ついた頃から仲良く話していたことはなく、ご飯も洗濯も別で、父親が帰ると母親が逃げるように2階に上がり、顔も合わさず暮らしていた。中学生にあがると別居をすることになったが、親権をどちらにするか揉めた。どちらも子どもがいてほしかったし、どちらも私の親ではなく自分の第二の人生に期待していた。 もう10代ではないから自分の家族について嘆くつもりもないし、慰めてもらいたいわけでもない。でも、親権があいまいな私はいつも「どちらか」を選ぶ必
不健康な人が大好き。 私はいろんなことが不安で、特にここ一年くらいは自分がこれから大きな病気に罹ってじわじわ苦しんで死んでいく様子ばかり想像してしまう。就活生だからニュースを真剣に見ていて、毎日流れるコロナの重症者の様子に悲しくなったのが発端だ。そこから祖父が末期がんになってしまったり、先生が乳がんになってしまったり、至るところで怖い病気の話が耳に入りやすくなって、気がついたら「病気不安症」というものになっていた。単なる不安症ならいいけれど、肺から変な音がする気がしたり心臓
この間サークルの飲み会に行ったときに、喋ったことのない男の子から「〇〇ちゃんから聞いたよ。お金渡してイケメンとやってるんだって?性欲やば!今はセフレ何人いるの?」という風に話しかけてもらった。大人しくて目立たない空気のような私がどんな風であれ誰かに面白い人生だ、意外とそういう子なんだ、と思ってもらえたのはなんとなく嬉しかった。でも事実はもうちょっと寂しくて暗くて切ないものだったということ、どうせ耳に入らないだろうけど自分を守るために少しだけ書いておきます。 どこから遡ればい