親より先に死にたくない

「親より先に死んではいけない」
いつも親から言われていた言葉で、すごく重荷に感じていた。生きていても何も楽しくはないのに、親が天寿を全うするのを見守るまで死ねないなんて。

7月7日と8日に、父方の祖父の葬儀があった。通夜の前、祖母宅にもうすぐ霊柩車が来るとのことで、そのための準備を手伝っていた。
「何やってんだよ、本当に何もわかってないんだなお前は。いい加減にしてくれよ。」
「そんなこと言わなくたって!だったらどうするの」「言っただろ!」
祖父はいつも祖母と父が言い合うのを穏やかに見守る人だった。祖母と父は仲が悪いのではなく、良すぎるが上に他人だという意識がなく、もっとわかってほしいと思い続け、双方が大声で主張し続けるのだった。穏やかな祖父はその日も悲しい顔一つせず優しい笑みを浮かべて眠っていて、いい人だったなと思いとても悲しくなった。そして、寝ている祖父に見向きもせず言い合うのを見て、最後まで祖父が主役になれていないことが私には残念だった。

祖父は映画や音楽にすごく詳しい人だった。映画の冊子に祖父が書いたコラムを見たことがある。私のピアノの発表会はチケットを1枚しか渡せない時には必ず祖母が来て、必ずいびきをかいて眠っていたが、2枚渡すと祖父も来て、一曲一曲じっくり聴いてくれていた。私と祖父が2人で話しているといつも父や祖母が入ってきて「私はね」「俺はね」と割り込むので(祖父や私は争いたくなく発言権を譲ってしまうから)話したいことは途中で終わってしまっていた。最後にgwに会った時は昔行った旅行の話をたくさん聞けて、それがすごく記憶に残っている。でも、「じいじと話してくれてありがとうね」と遠くから聞き耳を立てていた父に言われ、感謝されるために会話をしていたみたいですごく気持ち悪かった。

霊柩車が来てその車がベンツだったみたいだ。私は車に詳しくないからよくわからなくて、最後の家を出て行く祖父がこの家をいい家だと思えたのか気がかりで仕方なかった。「最初で最後のベンツじゃん!笑」横で父が鼻で笑っていた。心底気持ち悪かった。

棺には何を入れてもいいと言われていたので、飛行機の搭乗券のポストカードと、イギリスの切符とハリウッドのチケットを入れた。今度オーストリアに留学をするから良かったら一緒にオペラを観ようと書いた。祖父1人に来てもらいたかった。
父がそれを写真撮らしてよと横取りして、「私が祖父に渡したかったもの」は「自分の自慢の娘が自分の父にあげたもの」に一瞬にして変わってしまい、すごく悲しかった。

「葬式いくらしたと思う?」この2日間父から何度も聞かされた話だ。「〇〇(私)だから話しちゃうけど」と、生々しい話をたくさん聞かされた。出来るだけ予算を減らしたいと、お坊さんの数が減ったりお通夜やお葬式会場での食事を断ったりしてあった。お腹を鳴らす音を親族一同響かせながら行う式は、ひどく滑稽で、集中できていない感じがして、祖父に申し訳なかった。

食べることが好きな祖父に、棺にスーパーのお弁当が入れられていた。安く作るために具なしのナポリタンでかさ増しされたヒレカツ弁当。私が御仏壇用にと買って行った京都の和菓子も「高いから」と一つ入り、「高いから」と親族に勝手に配られていて、「お金後で渡すからね」と祖母に言われ、お金の話ではないのにな、と悲しくなった。

式が始まると、いろんなあれこれが何もなかったかのように皆が泣いていた。父は嗚咽混じりにお経を読み、それがとても気持ち悪かった。
喪主の挨拶を祖母がして、少し泣いてしまったのを「よく言えた。頑張ったね。」と慰める父も気持ち悪かった。祖父のお葬式なのに、主役が別の人のようだった。

親より先に死にたくない。強くそう思ってしまった2日間だった。


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