きれいな言葉

書くことが大好きだった気がする。丁寧にわかりやすくきれいな言葉を並べるのが大好きだった気がする。私と話すと心が浄化される、汚したくないなと言われたことがあった気がする。気がするけれどもうわからない。

卒業論文の口頭試問で、読む才能も書く才能もない、言葉の使い方が下手すぎると言われた。一生懸命書いた言葉の一つ一つ、全て涙に変わっていった。書きたかった作品で書けなかった複雑な気持ちと向き合いながら、「好きなことで書くのが一番だ」と後輩にアドバイスするゼミの同回生の話を聞き流しながら、いつかやりたかったことで学び直したいと思っていた。でも、私の言葉は結局薄っぺらで上っ面で本当に学問を極めている人からしたらただのゴミだったんだと思う。自分が書いた一文字一文字、気持ちが悪くてそのまま論文をゴミ箱に捨てて帰った。文学に逃げてきたつもりだったけれど、自分のことが大嫌いで仕方ない自分が書く言葉だけはきれいだと思ってきたつもりだったけれど、無駄だった。全部全部無駄だった。

わたしが汚い言葉を使うとみんな驚く。そんなことが言えたんだ?!とまで言われる。勝手に、話す声や出る言葉からお育ちが良いとまで思われていた。でもこれは、わたしが頑張って頑張って取り繕って人を傷つけないように考えて考えて培ってきたものだ。母親の言葉はいつも槍のように突き刺さるし、父親の言葉は誰でも一瞬で不快にすることができる。そうならないように一生懸命きれいな言葉の引き出しを増やしてきたつもりだった。ゴミのような言葉を吐くほうがよっぽど簡単だ。歩くのが遅い人が前にいたら「死ねよゴミが」などと簡単に言えてしまう。ずっときれいな言葉を纏って繕って生きていきたかった。認めてほしかった。


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