スイミー

毎日毎晩悩み、泣いて朝を迎える。
朝になる頃には悩みはひと段落し、最終的に「大丈夫な未来が欲しいだけなんだ」という考えに落ち着いて眠りにつく。毎日繰り返しても、大丈夫だったんだった、と悩まず眠れる日は来ないから、これはある種の私のルーティンなんだと思う。

高校1年生の頃過敏性腸症候群になった。同時に心因性頻尿にもなって、自宅以外の場所全てで落ち着くことができなかった。家から駅までわずか5分なのに、その途中で寄れるトイレを考える。電車は一駅ずつ降りてトイレに行く。各駅停車以外は乗らない。スーパーの列に並んでいる間にトイレに行きたくなる。美容院で一つの工程(5分程度)が終わるたびトイレに行く。学校は一番に着いて何度もトイレに行っておく。朝ごはんやお昼ごはんは何も食べないでおく。授業は開始1分で無理になるし、トイレに行き教室に戻った瞬間またトイレに行きたくなる。テストや受験では、あらかじめどのタイミングでトイレに行くか想定しておく。

15歳から20歳頃までこんな感じで過ごしていた。周りに一度打ち明けたら誕生日の日に机の上に目いっぱいトイレットペーパーが飾られていたことがあるから、それ以来言わないようにしている。いつからか、「トイレがない閉じ込められている場所」でのみ行きたい気持ちになって体が震えて呼吸が荒くなり、そこから出ると(トイレに行かなくても)全て収まるから親しい人には「パニック障害で」と言うようにした。パニック障害でかなり苦労している人もいるのに不謹慎だと思うが、私のなかでは過敏性腸症候群よりもパニック障害のほうがかっこよく、周りから守られるべき存在のように思えて好きだった。

結果的に言うと、今の私はそんなことを気にせずに暮らせている。もちろん友達とドライブをしたり快速列車に乗ったり左右にも席がある長机の中央で授業を受けたりすることは無理だが、日常生活で困ることは一つも無くなった。コロナ禍でオンライン授業が始まったり、座席の間隔が空いたり、そういうことから徐々に救われていった。「理解ある彼くん」と思わせてしまったら本当に申し訳ないが、以前付き合っていた彼氏が映画中に手を握ってくれたり、タクシーで「もうすぐ着くから大丈夫だよ」と声をかけてくれたことにも救われた。少しずつ、少しずつ出来なかったことが出来るようになっていった。

今私が悩んでいることはまた別のことで、前の悩みは無くなったけれど、前と同じように毎日死にたいと思っている。ここにその悩みを書いてしまえば読み返した時にどうしようもなく泣いてしまうことがわかるから書かないけれど、前は心の病気で済んでいたものが今のものはそうはいかないのだろう、と思っている。あの時の私に今の私は「大丈夫だよ」が言えるけれど、未来の私は今の私を見てそう言ってあげられるだろうか。今日の私が昨日の私を肯定するくらいの、小さな大丈夫を日々集めてなんとか自分を守りたい。スイミーみたいに。


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