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不登校経験者が感じる 勉強することの意味①試験のための手段

学生の時に一度は思う「勉強って、将来何の役に立つの?」という疑問。
不登校の子どもの親が一度は抱く「勉強しなくて大丈夫なんだろうか」という不安…。
今回は、この「勉強」について考えてみます。

公務員試験のための勉強

小4で不登校になり、中学には2か月ほど通ったものの、学校というシステムが合わず再度不登校。
そのまま通信制高校に進んだ私は、いわゆる「学校の勉強」をしてきませんでした。

そんな私が、がっつりと勉強したなーと感じたのは、公務員試験のために予備校に通っていた頃です。

何が分からないのかわからない

私にとって公務員試験は、自分の目標である経済的自立を達成するための唯一の方法でした。
今思えば、他にも方法はあったのだと思いますが、当時は「これだ!これしかない!!」という気持ちだったのです。

小4からの義務教育をすっ飛ばして育った当時の私の学力は、こんな感じ。
・北海道(最北端)と沖縄(最南端)以外の都道府県は場所が分からない
・数学の問題式と答えをみても、途中式が想像できない
・平安時代と鎌倉時代の前後関係が分からない

やればやるほど出来るようになる

それでも自分で決めて始めたことです、何とかしなければなりません。

授業受けているだけでは追いつけないと悟った私は、早い段階で予備校の先生に「学校に行っていなかったので、基礎学力がありません」と相談しました。
そのカミングアウトは、私にとってかなり勇気のいるもので、あの時の心臓のバクバク具合や背中を伝う汗の感覚を今でも鮮明に思い出せます。

ところがその先生は、「あーいいですね!知識ゼロの方が、吸収しやすいんですよー」と言い、ニコニコ笑顔で「マンガで分かる日本史」を貸してくれました。

知識ゼロというコンプレックスを、むしろ強みだと言い切ってくれた先生。
その言葉に支えられ、とにかく毎日授業を受けて分からないところは分かるまで復習。ひたすらその繰り返しでした。
すると、だんだん解ける問題が増えていき、合格という結果に結びついたのです。

ここまで集中して勉強に打ち込むことが出来たのは、自分の意志で決めたことだからにほかなりません。
誰かから「公務員試験を受けなさい」と言われていたとしたら、どこか他人事として捉えていたと思います。

手段のための勉強だった

そんな風に、全身全霊で勉強に向き合っていた日々ですが、いま振り返ると、「手段のための勉強だったな」と感じます。
もちろん、出来なかったことが出来るようになる喜びはありましたが、あくまでも試験合格という目的を達成するために、課題をクリアしていったという感覚です。

ですから、合格してしばらく経ったら暗記系の知識は薄れていきましたし、学ぶことの楽しさには触れられていなかったと思います。

では、学ぶことの楽しさとは何なのか。
私なりに感じていることを次回お伝えします。

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というわけで、次回へのリンクです。
↓次回↓


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