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小4から不登校で公務員になった話④中学に行ってはみたものの

こんにちは、結(ゆい)です。

このnoteでは、長男の不登校をきっかけに、ホームスクーリングという育ち方を選択した我が家のアレコレをお伝えしています。
このシリーズは、不登校を経て社会人になっている私のことを振り返っています。
初回 小4から不登校で公務員になった話①「いい子」のエネルギー切れ

今回は、小学校卒業直前から登校を再開した私が感じたことをお伝えします。

仕切り(黄緑葉っぱ)

「普通になれるかも」と登校再開

小4で不登校になり、2年間かけてエネルギーを回復した私は、ジャズダンスを通じて「外の世界」に繋がることで、少しだけ自信を取り戻しました。
そして「これだけ元気になったのだから、もしかしたら普通の子どもみたいに学校に通えるかもしれない」と考え、意を決して登校を再開します。

タイミング的には小6の3学期も終わりかけ、もう授業はほとんどなく、卒業式の練習をちょっとやっているという時期です。
そのため、クラスの雰囲気もどこかそわそわしていて、日常的な「学校生活」を経験しないまま卒業式を迎え、そのまま中学校に入学しました。

実は、私の中で学校に関する記憶はとてもおぼろげになっています。
それでもいくつか断片的に覚えているのは、真新しい制服に袖を通しとても緊張したこと。
入学式で全員が同じ制服を身にまとい、まっすぐ整列している様子を見て、何とも言えない重圧を感じたことなどです。

中学校の同調圧力に驚く

中学校生活が始まると、私は浮に浮きまくりました。
例えば授業中、先生からの「これ分かる人ー?」という問いかけに、まっすぐ手を上げる。
音楽の授業で「大きな声で歌いましょう」と言われたので大きな声で歌う。

当時の担任の先生は父に「娘さんは帰国子女のようですね」と言っていたそうです。そう表現されるくらい、小学校高学年から中学校入学までの間に培われるべき「教室内での空気を読む能力」が欠如した状態だったのでしょう。

当然の帰結として、女子のグループから嫌われます。
どのグループにも入れず、持っている鞄のメーカーや付けている髪ゴムの色一つひとつについて「そんな目立つやつ使ってると、上級生に狙われるよぉー」とありがたいアドバイスをもらいました。

彼女たちにしてみれば、目立たずに同質的なメンバーが固まってグループを維持することが「正しいこと」なのですから、私の立ち居振る舞いは「悪いこと」だったのでしょう。

謎のルールに従うくらいなら行かない

思春期女子の間でのこうした不文律に馴染めないのは、小4の時と同じです。小学校の時は「なぜみんなと同じにできないのだろう…」と随分悩み、エネルギーが切れるまで頑張り続けました。

しかし今回は「そういうルールに合わせないと居られないなら、もう行かない」と見切りをつけ、入学して2か月ほどで不登校を選択しました。

自ら見切りをつけたとはいえ、意気込んで登校を再開していた分、ショックは大きかったです。
それでもこの決断をできたのは、両親は私のことを受け入れてくれるという絶対的な安心感があったからでした。さらに、ジャズダンスという居場所が出来ていたことも大きかったと思います。

仕切り(黄緑葉っぱ)

今回は、登校を再開したもののやはり学校に馴染めず、どちらかと言えば積極的に不登校を選択するまでについてお伝えしました。
次回は、ジャズダンスを通して学んだ沢山のことについてお伝えします。
↓次回↓


やりたいことを追求する環境に置かれた結果、得られたこともあった思っています。
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「不登校」や「ホームスクーリング」など様々なテーマで連載をしているため、全体をまとめたページを作っています。
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