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不登校経験者が感じる 勉強することの意味③学力ってなんのため?

このシリーズでは、学生時代にしていた「手段」としての勉強についてと、大人になってからの「目的」としての学びについて書きました。
もはや、自分のための壁打ちになりつつありますが、もう少しだけ勉強や学力について深掘りしていきます。

*シリーズ初回はこちら
 不登校経験者が感じる 勉強することの意味①試験のための手段

なぜ学力を測るんだっけ?

不登校だった私が公務員試験を受けようと一念発起して始めた勉強、これは合格するという目標を達成するために行っていたことです。
10ヵ月という短期集中だったこと、それまで勉強を強制されてこなかったことから、すべてが真新しく新鮮な経験でした。

しかし、多くの子どもは6歳から学校に通い、好き嫌いに関わらず机に向かって勉強しテストの点数という評価が与えられます。
さて、このテストの点数による学力評価って、何のためにしているのでしょうか。

現状、学校で勉強して学力を上げる目的は「将来の選択肢を増やすため」と言われることが多いでしょう。
学力が高ければ進める学校の幅が広がり、入れる会社の選択肢も広がる。
大きな会社に入れば、安定した雇用や社会的信頼を得られる、という理屈です。

学力は採用側にとって便利な指標

こう考えていくと学力というのは、人材を採用する企業側にとって便利な評価基準だということに気づきます。

そして学力がテストの結果を順位付けしたものである以上、そこで上位になるのはテストで点を取るという競技が得意な人、ということです。
もちろん、その競技が好きな人はそれをやればいいし、そういう人材が欲しい企業はどんどん採用すればいいでしょう。

問題なのは、すべての子どもがたった一つの指標でランク付けされ続けた結果、学力が唯一の価値基準であるかのように錯覚してしまっていることです。

ものづくりが好きだったり、誰かと話すのがとにかく楽しいなど、学力では測れないところに得意や好きを持っている子どもまで、その評価基準に巻き込まれ、「自分は上位に入れない」と劣等感やあきらめを抱く。

その結果、子たちの多くは「勉強=強制される苦手で苦痛なもの」と刷り込まれながら大人になる。
これはもったいないことです。

見失っちゃいけないこと

もちろん、学力をモノサシにした一括採用&終身雇用という制度がハマったお陰で、私たちの暮らしが整っていったことは紛れもない事実でしょう。
それを否定するのではなく、新たな尺度を増やしていく必要があると思うのです。

さしあたっての現状として、子どもが学力で測られてしまうなら、せめて親はそのモノサシを外し、その子自体を見てあげたいなーと感じます。

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