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『宿命の冠 - the crown for All woman's delight, pain, destiny, and history』について

何かに繋がるための身体の部分は、必ず皮膚が裂けているところのようだ。
目-あなたの顔をはっきりと見たいから。
耳-あなたの声を、歌を、聴きたいから。
口-あなたに伝えたいから、触れたいから。
そして

2/2より開催される展示会『甘い追憶』へ出品予定の『宿命の冠 - the crown for All woman's delight, pain, destiny, and history』は、恐らくわたしの手仕事の歴史の中で一番、長い時間をかけて完成に至った作品だろう。作業に取り掛かったのは昨年の7月だから、数字としては半年以上の時間を捧げた。後から微調整を繰り返す作品は数あれど、基本的にわたしは一旦の完成に対して、長い時間を掛けることはしないタイプの作り手である。何かが未完のままで放置されていることが落ち着かない。ひとつひとつの物に終止符を打ってそのかたち(見えるもの)とその内包物(概念/見えないもの)双方の次元を『閉じて』やることは創造物に対する敬意なのであり、尋常とは言えぬ強靭な集中力と濃縮作業はそのために発揮される。

半年以上、と言えどその期間ずっと作業に没頭してた訳ではない。夏が終わる前におおよその元型は出来上がり、数ヶ月空白の期間を経てから再構成の作業に取り掛かった。『閉じてやること』を重んずる自分にとってはある意味特殊なこの製作過程は、今となっては必要不可欠なものであったと感じている。数ヶ月の空白、『時間を置くこと』をしなければとにかく、この作品を発表することはかなり難しい状況になったと思われる。

statement for the crown of destiny

冠の製作を始めた7月、わたしは精神病院からの入院を終えたばかりだった。入院前、自閉症の合併症である心身症は限界を迎えていた。高熱や激しい動悸はすっかり日常化し、心因性筋肉硬直による上半身の痛みは日に日に重度を増してゆき、身体を起こすこともだいぶ困難になっていた。
自分の肉体の耐え難い痛みと重さに、一ヵ月の入院は有効に働いた。適切な服薬調整と凡ゆるノイズから隔離された環境、規則正しい生活。山の中にある病院だった。読書に飽きたら病院の庭を散歩をするだけだった。病院の中での生活について、これ以上綴る必要はないと思っている。

退院後、つまり『肉体である事の耐え難さ』への物理的なケアを受けたのち、創造する人間である自分に必要になったのは、肉として生きる存在の痛みと重みを『表現』の手法と次元で解きほぐし、治癒を施す作業だった。個人の肉体に発生する様々な症状について、『病』という名に回収し、単なる個人の性質の事情へ片付けてしまう訳にはいかなかった。創造とは、個の景色を総体としての次元に結びつけてゆく作業なのだから。ひとつの閉じ込んだ身体の孤独、逃げ場なく背負う肉の痛みと重みの記憶に『かたち』を与えられたとき、わたし個人の記憶が人間の記憶になるとき、創造による〈治癒〉が始まる。

このような経緯で冠の製作と思考/解釈が開始された。肉体というオーガンに生きる存在の閉塞、故に負い続ける生の重みが、美しく煌めく瞬間とは何処にあるのか。それは、この身体が裂けるときだ。通気孔が開くときなのだ。そして女性の肉体存在とは、既にその全てが上の事象についてのメタファーではないだろうか? 天に向かって掲げよう、そして纏うのだ、肉体という宿命にあらがい同時に肉体という宿命を受け止め、抱き締めてやるために

『宿命の冠』に寄せて製作したステートメントの文面は、冠製作開始時の当時物に変更を加えず、そのまま使用している。恐らくこの文章を今書くのは不可能だ。知覚的要素に対峙するとき、それがまだ完全に主観に帰属している際に文章化するのは困難だろうが(入院初日の日記を読み返すと語彙選択や日本語文法まで凡ゆる面に於いて破綻している)、記憶から抜けきってしまっては書けない事柄は確かにある。傷がまだひしと疼くうちに、傷が塞がってしまう前に書き留めなければ、吹き込まれないものというのは確かにある。

作品の元型とステートメントを作り終えたのち、数ヶ月間冠の制作から離れていた。意図的に離れた訳ではなく、いつも通り多くの作品に取り掛かってはその物たちを『閉じてやる』作業に忙しかったからだ。いつも通り会社の重労働の疲労と並行しながら。

肉体であることの痛みが癒えることはなく、製作者として、また社会人としての人格へ復帰することを焦ったのも影響し、相変わらず持続する苦痛を生きていた。しかし枕元のトルソに設置してある暫定的完成の冠を眺める視点は、明らかに変化していった。まるでそれを産み出すことが宿命であるように夢中に取り組んだ作品だ。ずっと「それ」しか見えなかった。自らの役割にひとつ暫定的な終止符を打ちながら癒えることのない痛みを生き続ける眼差しは、枕元に光るものの景色を徐々に変えていった。そこには「冠を作らなければならない」という衝動に駆られ続けた1人の作家が居た。

長い間 問い続けていた気がする。貴女はこれを作ることで本当は何を示したい?数あるジェンダーの中で、作品の志向性を〈女性〉に定めたのか。そして貴女はどうしてそれを語るに相応しい女性と思ったのか。産み出すことこそが答えなのだと夢中であった時には作品そのものしか見えなかった。しかし今見えるのは作品と、それを作らねばならない宿命に駆られた1人の作家の、心の影だった。

冬の訪れと共に暫定的な完成を全てバラバラに解体し、作り直すパーツは金属板のカットからやり直した。ほぼ満足に出来上がっていた部分もハンマー打ちから磨き、焼き直しまで丁寧に整形を施した。尋常でない精度の集中力と忍耐力と体力を要した。その動機は最早、完璧な冠を制作することからは脱却していた。それは自らの痛みを人間の治癒にするため、創造に駆られ続ける作家の孤独へ捧げられた。かつての彼女の想いをわたしは、守ってやりたかった。

小さなホテルの一室での撮影で、一連の制作は幕を閉じた。モデルを依頼する事も可能であった。しかし完成した冠を被ったのは、作家自身であった。貴女を突き動かし続ける創造の痛みと孤独に、一番初めにこの冠を捧げたかった。そしてこの冠がfor All woman's delight,pain,destiny and historyであるために、それは必要不可欠な最初の儀式のように思えた。

かけがえのない作業を担っていただいたカメラマン、藤坂鹿にこの上ない感謝の念を。

冠、それは歓喜と 宿命の痛みに捧げられる。

the crown for all woman's delight,pain,destiny,
and history.

それらを讃え上げるのではない。
それらを慰めるのではない。
装身するのである。

魂の裸出、〈裂開〉-dehiscenceが始まる

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