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仕事を辞めました。この世界の見えない境界を跨いでしまったお話

二ヶ月前のとある日、突然降り掛かった出来事によって長い間しがみ付いていた信念が『逆さま』になった。

通常通りの遅番の出勤日だった。通常通りに午前9時に起床し、朝食の支度をしていた。いつもと違ったことと言えば、前日の深夜 仕事の疲労について打ち明けていた恋人からくすっと笑えるような面白動画が送付されていたことくらい。動画をひと回り閲覧し、ピリピリと張り詰め続けていた脳みそが若干緩和しかけた直後だった。取り込んだまま床に散らけていた洗濯物を避けて廊下を通ろうとしたその時、姿勢を崩して横転びした。不注意な状態の脳内であった上に一瞬の出来事過ぎて、これ以上の状況については全く覚えていない。とにかくわたしの左足は普通でない痛みを発しており、自力では起き上がれなかった。

床を這ってスマホを取り、職場に状況説明の電話を入れた。連絡を聞いた母がすぐに車で駆けつけ、近場の整形外科を探して連れて行かれた。レントゲンとMRI検査によって剥離骨折と挫傷(ヒビ)が左足甲に数箇所確認され、固定板と松葉杖の処置が施された。派遣先の職場から契約解除の連絡が来たのはその日の夕方だった。

離婚してから三年半、労働は常に「責務」であり続けた。自己責任で過去の環境を捨て、自己責任で自分の生活を持った。大学院を退学して結婚したので職歴はゼロである。就労可能な仕事は限られていた。低賃金、過酷な重労働にしか就けなかった。何度も身体を壊して休職と転職を繰り返し、元来の持病の悪化も伴って去年の夏には入院もした。段々と壊れてゆく自分を見つめながらも、労働し続けることをやめなかった。だって自己責任だから。わたしの崩壊はわたし固有の意志と気質と体質と経験に起因するのであり、わたしが『自分自身で生きたい』と望むことはわたし自身へ暴力を加え続けることを常に内包していた。故にその楔を自分自身で解くことはずっと出来なかった。

突然の事故により、強固な楔はあっさりと解けてしまった。自分の意思で働くことに見切りをつけたのではなく、『予想不可能な災難によって労働の責務から突然釈放された』のである。突然の災難には自己責任は発生しない。災いの被害者となることによって初めてわたしは、意志と主体性の呪いから解放され、『突然の怪我によって失職せざるを得ない人間』になることによって初めて、不可視の弱者から確実な弱者となった。
自分固有の問題に起因する『生き続けることの過酷さ』では断ち切れなかった責務について、客観的な災難・事故に起因する『生き続けることの過酷さ』は余りに容易にそれを取り去ってしまった。

突然の怪我による精神圧迫と不自由、メタファーではない極めて具体的な『痛み』の苦痛は確かに存在する。実際 事故数日後から徐々に経済的/心理的な不安や孤独感に苛まれ、ODを繰り返していた。しかしそれは「突然被った障がいと経済困難」という出来事に対してのある意味「自然な」悲嘆なのであり、そのような人間に対処されるケアについて、ある程度この社会では一般化されているようだった。自分に対してその類のものがどれだけ効果的なのかは不明だが、ある程度解消が予測される不安感であることは確かだろう。途切れぬ楔を背負い続ける重荷/その苦痛とは全く質の違う不安感である。そして自分の絶望の根で有り続けていたのは明らかに後者だった。

あの日、何が起こったのか。

あの小さな事故の瞬間、
わたしは意思ある主体として壊れ続ける者から、不測の災害によって困難に押しやられた、非-主体的に「生きづらさ」を抱える者へ〈反転〉した。意思ある主体の固有の苦難は自己責任であるのに対し、非-主体的に被る苦難とは社会責任である。しかるべきケアと手当を受ける権利が発生し、救われるべき対象と措定される。

あの小さな事故の瞬間、知らずに踏み越えてしまった見えない境界線の正体を考えている。
恐らくそれはこの世界で、救われる者と救われない者を規定する不可視の構造の糸のひとつなのであり、そもそも「だれの責任によるものか?」を問うことなど不可能な、人間其々が抱える苦難を分割してあなた自身のせい/あなたのせいじゃないとか、自己責任/社会責任とかに組み分ける構造の事である。

あの日、何を跨いでしまったのだろう。
わたしの中身は何も変わっていない。
しかしわたしを規定する文脈は明らかに〈反転〉したのであり、わたしは「生き抜くべきもの」から「生かされるべき者」となった。

それは一体、どうしてなのか?

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