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「規則」の話だけする

この記事は「人は望んで思考停止になるのか?(未公開)」の一部抜粋


生きている中で、感じることができるルールはどれほどあるだろうか?
「道路に設置されている信号機」はわかりやすい。
赤は止まれ、黄色は注意、青は進め…?
今日はそういう話



新しい会社や組織を作るとき
はじめはルールとか、そういうのはない。必要がない。


組織が立ち上がったころの話

メンバーは数人しかおらず、
この先どうやって行くのかについて、
むしろ「話をすることしかない」
だから、ものすごく話をします。

その時にはルールなんてのは必要なく、
話し合えばよかった。


それは、新たに開拓された土地と似ている。
互いに住み始めた人間同士、顔を合わせて、膝を突き合わせ
この街をどうしていくか、そんなことを考えるかはわからないが、
新たな土地に住み始めたモノ同士、認識するし、コミュニケーションをとる。

走る車は数台。
信号など必要なはずがない。


少しずつ「やること」が分かってくるステージ

十分話し合い、計画が立ち、
それぞれが最大限の力を発揮し、PDCAを回しながら、組織を前に・大きくしていく。
それぞれの役割が少しずつ分かれてくる。
それぞれ得意なこと、興味が高いところ。それぞれを尊重しながら。
チームは一丸となって前へ進み始める。

まだ、規則は必要ない。


住民が増えてくる。
顔なじみも増えてくる。
車を持つ人、自転車を持つ人、いろいろ。
でも、駅に向かう道は限られている。

まだ、信号は必要ない。


「やりたいこと」をするために人手が必要になるステージ

採用も必要になってくる。
直接見て、自分たちで判断しているうちはまだよい。
まだ、コミュニケーション取れる。
やりたいことに向けて、役割を分け、チーム内にチームができ始める。

経理、営業、リサーチ…
チームで動き出すと、チーム運営が必要になる。
組織化の話は別途するとしても、
どうしてもコミュニケーションは希薄になっていく。
そうすると、互いに何をやっているか見えなくなり、不安になる。


人が増えてきた。
どうやら計画されていた通り、反対側にも駅ができる。
ショッピングモールの建設が計画されているようだ。
ゴミの出し方が荒れてくるころ。
歩いてる人がどこに住んでいる人かわからなくなる。
そろそろ、信号が必要だろう。(回覧板とか、ゴミ出しルールを周知する必要がある)




こうやって、ルールは生まれる。


ルールの良い面

それは、どうしようもないことに思考時間を費やさないことにある。
サッカーで、「なんで手を使ってはいけないのだろう」そんなことは考えない。そういうルールだから。

どうしてかわからないこと・曖昧な思考に無駄な時間を割かない。
ルールの最大の利点

もう一つは、比較するためだ。
規格を統一し、優劣を決めるためにはルールが必要。

ヨーロッパと南米でルールが違っていたら…
ファールの基準が違う
ボールの大きさ、重さも違う
人数も違う

これではワールドカップは成立しない。
共通のルール、共通の規格があるから、世界最強を競い合える。

ルールの上で競い合うことは、相互に技術を高めあう。
進歩を生むためのシステム。話がそれてしまう。


ルールは作ったら終わりじゃない、むしろ始まりである!

青信号、正しくは「注意して進む」だ。
いつの間にか、注意してを忘れてしまうものだ。
ルールは「なぜルールが必要になったのか」を考える必要をなくす。
そう、ルールは人を思考停止にさせることができる。

なぜ信号があるのに、交通事故は無くならないのか?

信号がない方が、意外と事故は無くなったりもする。

信号があると、渋滞が発生してしまう。

信号がない方が快適なのかもしれない。


信号の目的は、
「行き交う人たちが、ぶつからないように、時間的制限を設ける」
これに尽きる。
本来、「ぶつからないように」という願いは、
逆にぶつかる状況を作るかもしれない。


組織におけるルールも、同様に作られたルールには背景がある。
いや、あるべきだ。
信号よりはゴミ出しのようなローカルルールに近いが、

肝に銘じておきたいことは、

常に時代は動いているということ。
ルールが作られたときと、今現在は状況が違うということ。
ルールを作った前と後、
人が一人でも増えれば環境・状況は違う。

本来ルールを作った目的は、
信号と同じように、
「ぶつからないように」→組織として心地よく前に進めるように

という思いがあったはず。
ただ、ルールというものを作ったとたんに、ルールが目的を果たしてしまうように感じて、何も考えなくなってしまうことは少なくない。


常に、状況を分析し、よき状態・理想とは?を想

像するべし

ルールができる前は、どうだった?
みんなで話し合ってなかった?
それがルールだから…、

そのルールについて話し合うことはしている?
なんでそういうルールになったの?
こういう場合はどうするの?どういう気持ちで今いるの?

どうして話をしなくなるのだろう。
大前提として、組織・チームをよくするために生んだルールが、
コミュニケーションを阻害してるのかもしれない。
信号がない方が事故が起こらない、本末転倒じゃない?


属人的ルールの弊害

俺がルールだ!
そんなことを言う人もいるでしょう。
学校の先生とかそうかもしれない。

あるべきは、
俺がルールだから、俺の言うことを聴くこと
それが、相互に了承を得られていること

圧倒的なカリスマ、
組織的に色でいうと、レッド(旧軍隊式)組織

優秀なリーダーであれば、とても良い組織になるが
リーダーがクソゴミの場合、組織は崩壊する。

第一にメンバーを人として扱わないと、
メンバーのパフォーマンスは大きく低下する。
低下したパフォーマンスを絞り出させて遂行する組織は、強いのだろうか?
少なくとも今の時代の強い組織では考えられないし、時代の変化に対応できず滅びる。

そうやって、我々世代にもみられた
「卒業式のお礼参り」
が行われてきた。そういう背景を知らず、いまだにクソゴミは存在する。


スポーツの例を再び

ゲームやスポーツでは審判がいるのに、組織のルールには審判があまり機能していない。むしろ見ないためのルールになってはいまいか?


そして、スポーツではルールが変更されることもある。
野球では、ホームベース上のタックルが禁止されたり
バレーボールではサーブ権システムからラリーポイントへ
様々なところでビデオによる検証(チャレンジ)が導入されたり


審判へのワイロなどの問題もあるが、
基本的に、スポーツを楽しむため、互いに強くなるために
ルールの更新は常に検討されている。


会社のルールを変えることは、面倒だって?
それって、すでに目的を忘れてしまってはいないかい?



組織の状態は常に変化する

人の増減、社会情勢、技術革新、疫病
様々な環境変化があるのに、そのルールは何のためにあるのですか?

ルールをコロコロと変えてはいけない?
その本質は、「変えたルールを伝えきれない」からじゃないの?
納得性のあるルール変更とコミュニケーションは
逆にメンバーのパフォーマンスを高める。

職場に対するエンゲージメントが高まる。
組織にとって、自分の存在が大事にされていると感じるはずだ。
説明の為にコミュニケーションを取り、
これはメンバーが・組織が心地よく推進するためのルール変更だと伝えるだけだ。



意味が説明できないルールは一度やめてみる

もはや背景すら追跡できないルールが、弊害になる場合がある。
部分的に、廃止して運用したらどうなるか。実際に試してみるのがよい。
そして、廃止した場合に起こる弊害について、皆で話し合うのがよい。


ルールは破るためにある

僕は結構そう、考えがちだ。
ただの無法者ではなく、ルールを尊重する。

ルールは枠
枠がある方が、拡張するためにターゲットになる。
ルールを活用する、それが勝つために利用できる。
相手に違反させることもできる。

クソゴミが従っているもう一つ大きなルールを利用する
矛盾を突く
目的が、クソゴミを始末することならば…


でも、目的はクソゴミを始末することじゃないでしょ。

ゴミはゴミ箱へ

クソは便器へ


目的は何か
ルールは何のためにあるのか
大前提から今一度考えよう。

思考止めるな
前を向け

目的は何か
ルールは楽しむためにあるだろ
生きている時間を無駄にするな



最後まで読んでいただきありがとうございました!


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