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大阪地裁で続く聴覚障害児の逸失利益をめぐる裁判が、11月28日結審となり、弁論は終結した。判決は2023年2月27日14時に言い渡されることになった。

健常者の6割は妥当か

交通事故死した井出安優香さんの遺族である原告の井出努さん・さつ美さんは、安優香さんの逸失利益を「一般の平均年収(497万2000円)を元に計算」と訴えてきた。被告側は、「安優香さんの難聴度合いから成人しても正社員就職や昇進が難しかった」という理由で「聴覚障害者の平均年収(294万7000円)を元に逸失利益を計算」と主張している。

裁判後、テレビ局のインタビューを受ける井出さんら(11月28日筆者撮影)

裁判後、井出さんらはテレビ局のインタビューに、揃って「娘の努力を否定し、差別をしたことに公の場で謝罪してほしい」と語った。「被害者にとって良い前例になれば」と努さん。

報道各社はどう報じたか

報道各社は、以下のように報じた。

ABC放送

朝日放送

テレビ大阪

よみうりテレビ

関西テレビ

毎日新聞

報道各社はいずれも遺族の思いに焦点を当てていた。ABC放送は「差別をしたことに謝罪を」という遺族の声を見出しに伝えた。

こういう時、「一方(この場合は遺族)の言い分のみを元にした感情的偏向報道はやめろー」と言ってくる人も出そうだが。

これまで拾われる機会に恵まれなかった小さき声を大きく伝えるのは、問題を知る入り口としては決して悪いやり方ではないし、むしろ効果的。「感情的偏向」と障害児の親の言い分を聞くに値しないとするバッシングや詭弁に惑わされることなく、一層核心に迫る姿勢でありたい。

「公平な負担」の認識や範囲

被告側が持ち出す、損害賠償制度の公平な負担の原則。「将来得られたかどうか蓋然性に疑いのある金額まで認めると、加害者側に過当な負担になる。原告は過剰に個の尊厳や平等を強調して、加害者側に過当な負担を迫っている」(2022年2月被告側準備書面)

損害賠償制度の「公平な負担」の認識や範囲が、争いとなっている。

現行の制度は、公平な負担の原則になっているのか。

日本の損害賠償制度では、慰謝料が低く逸失利益の割合が大きいため、賠償額が収入格差を反映する。端的に言えば、事故被害者が外資系の金融やコンサルやGAFAのマネージャーだとかなりの金額になり、特例子会社で軽作業をする障害者やスーパーのパート主婦だとかなり低くなる、というわけだ。

最近変わってきたが、男女賃金格差の現状が逸失利益に反映され、未成年者の女児が男児より低くされていたこともあった。原告弁護団は2022年11月の最終準備書面でこのことにも触れ、「最高裁は性別による格差の是正を主導してきた。障害による格差も是正すべき」と主張。

あえて、逸失利益の面積が大きいという構造に合理性を見出すならば、制度は誰が損害賠償請求を行うのを想定しているかを考えた時に、一家の大黒柱を失い専業主婦と子どもが残された場合と、障害児を失い両親が残された場合を同じ賠償額にすると、家族の生活設計上、不公平が生じる、それを埋める可能性がある。でもそれは、まさにダイバーシティなどなかった健常者男性だけが働く社会、それも転職のない終身雇用を前提とした発想である。さらに言えば、障害児は育てるのに手間も金もかかる割に稼ぎ手にならないだろう、むしろ早くに亡くなった方が生活設計の負担は減る、という不穏ささえ匂う。

「障害児だからこうだろう」。これが遺族の怒りを買ったのは、報道の通りである。

それこそSDGsを発信しながら被害者の障害など様々な理由付けで払い渋りをしてきた保険会社(被告加入保険会社は三井住友海上火災保険)のモラルの問題もあった。原告弁護団は準備書面でこのことにも言及していた。

被告会社である小林建設工業(大阪市西成区)も小規模事業者であり、令和2年12月の官報掲載の決算公告によると総資産は2億3258万3000円(うち流動資産1億1509万1000円、固定資産1億1749万1000円)。遺族が求める損害賠償額は約6100万円。インターネットでは「被告側主張は加害者ではなく保険会社の主張」とする見方もあるが、小林建設工業もまた「保険会社から保険料適用が下りなければ、巨額の賠償金のために存亡に関わる」と感じ取っており、「減額できるものなら」と保険会社と利害を一致させている可能性は否定できない。

「被害者の将来の可能性を奪ったのは誰か、という厳然たる事実が看過されている。被害者の将来の発展可能性や、今後どのように能力を発展させていくことができたかを実証する機会を奪っておきながら、被告らが、被害者側が高度の蓋然性を持って証明すべき、と求めるのは不当」(2022年4月原告側準備書面)、「裁判所は未成年者については実質的には高度の蓋然性よりも可能性をもって判断してきた」(2021年7月原告側準備書面)と原告弁護団は反論。

難聴の弁護士が最後の意見陳述

自らも難聴のある久保陽奈弁護士は28日、法廷で最終準備書面の要旨をまとめた上申書を読み上げた。

障害者権利条約は障害者に特別な権利を与えるのではなく、障害のない人と同じ権利を与えるためにあります。
聴覚障害者の平均年収が低い調査結果は、聴覚障害者が置かれてきた様々な社会的障壁、すなわち、合理的配慮が提供されない、就労ができない、会議に参加できないといった、活躍の場が制限される状況の中で形成されてきたものです。
逸失利益が1割でも2割でも減額されれば、障害者を区別して収入を減らしていいのだと、司法がお墨付きを与えることになります。障害者権利条約に反するだけでなく、安優香さんを貶めることになります。
人間には努力でなんとかできることそうでないことがあります。機会均等という言葉がありますが、現実には競争するにしても、みんなが同じスタートラインに立っているわけではなく、スタート地点で有利不利の大きな差がついています。年少者には収入がない、女性は男性よりも収入が低いという事実がその例です。しかし、裁判所はこの差を埋めるべく、理論をリードしてきました。その甲斐があり、今や被害者が年少者の場合男性であろうと女性であろうと、賠償額に反映されることはありません。障害者は、自分の意志で障害を持ったのではなく、病気と違って障害は治せるものではありません。ここに年齢や性別と違いはあるでしょうか。
安優香さんの姿を正しく見つめていただき、共生社会を目指すという社会情勢を踏まえた公正な判決をしていただきたいです。

久保弁護士による陳述

判決次第では、損害賠償制度の見直しに向けた議論が本格化する可能性がある。他方、判決で一般同等の逸失利益が認められなかった場合、遺族は控訴し、2020年から3年に渡った裁判がさらに長期化することも予想される。

それにしても、「難しい、わからない」といわれる領域の問題について、聴覚障害者団体が動き、全国から11万人の署名(大阪聴覚障害者協会によると、2022年10月時点で紙署名94974、電子署名19575、計114549)が集まった事実はインパクトが大きい。

日本の聴覚障害者人口は29万人程度(2016年厚労省調査)。署名した11万人のうち聴覚障害の人の割合は定かではないが、少なくない数の聴覚障害の人が、判決を待たずして逸失利益の減額に反対する意思表示を署名という形で行ったのは事実。事実関係や争点がわかりやすく示され、アクションを起こすハードルは低くなっていたとみられる。「署名を利用して相手側や裁判所に圧力をかけるやり方はどうか」「赤の他人同士の争いに部外者がどうこう言うものではない」という声が寄せられることになりがちだが、それ以上に聴覚障害コミュニティの連帯の力は大きかった。

聴覚障害の弁護士が公正な判決を求める意見陳述をして結審したのは、象徴的なことだった。

被告側は慰謝料も減額主張

大阪地方裁判所(11月28日筆者撮影)

筆者は結審後、再び大阪地裁で双方の主張全体を確認した。

逸失利益が争点となってきたのだが、慰謝料についても双方に隔たりが見られた。

原告側は11月28日の期日に合わせた最終準備書面で、「加害者がてんかんを隠して運転を続けたという事故の態様や、加害者に反省がみられず、安優香さんの聴覚障害を理由に不当に貶める差別的主張をされ精神的苦痛を受けた」ことを、慰謝料の増額事由とし、4250万円と主張した。これは提訴時から下回らない。

一方で、被告側はこれを「高すぎる」とし、未婚女性の死亡慰謝料の相場を根拠に2400万円と主張しており、この主張を変えていない。

この裁判について、インターネットやSNSで、「逸失利益と慰謝料を混同して、差別だと言っている人がいる。聴覚障害ゆえに平均収入が低い現実がある以上、逸失利益が低くなるのは差別ではないと思う。逸失利益で補償できない部分を、慰謝料で補填するといいと思う」という意見があった。この意見はどうだろうか。

被告側はそんな主張はしておらず、慰謝料についても減額を主張していたのだ。

交通事故に詳しい谷原誠弁護士のブログによると、加害者に悪質な運転行為があった場合や、被害者の遺族に暴言を吐くなど被害感情の悪化が強い場合は、慰謝料の増額が認められるケースがあるという。「慰謝料の増額は裁判所が勝手に増額してくれるわけではなく、被害者が自ら発見し強く主張していくことが必要だ」と助言する。

当事者の意識は司法を変えるか

筆者は、発達障害当事者ライターからスタートし、障害者のキャリアをテーマに取材・執筆してきた。そうしていくうちに、これまでに、障害のある人の逸失利益をない人同等に認めた判例はほとんどないということを知った。ダイバーシティ後進国で停滞する日本。障害者雇用の賃金が低く定着も難しいことで、こんなことも起きている。それでいいのか、と問題意識を喚起するようになった。

「逸失利益を聴覚障害児は聴覚障害者の平均年収で計算する(一般の6割)」

このような判例ができれば、聴覚障害だけでなく、他の障害、例えば発達障害児にも類推解釈されて発達障害者の平均年収(月額12万7千円)で計算されて賠償額を相当低くされそうだ、とみるのは筆者だけではないだろう。

聴覚障害者がそうであるように、発達障害があっても大学に進学し、弁護士や経営者(例えばイーロン・マスク氏はアスペルガー症候群を公表)、ほか様々な職業に就く人はおり、発達障害者の支援技術は発展しているのだが。聴覚障害者の平均年収がそうであるように、発達障害者の平均年収の低さも、合理的配慮が行なわれておらず差別が厳然とある現状からの結果といえる。

専門家の意見として裁判で提出されることになった、立命館大学の吉村良一名誉教授は2022年2月1日の関西テレビのインタビューに、「そんなのおかしい、根本から変えなさいと(学者は)論文を書くが、裁判官はなかなか受け入れない。裁判所のよりどころになるのは憲法や法律だが、もっと広く言えば社会の人々の法意識。そんなのおかしいね、と思うかどうか」と語った。

この問題をどうみるかは、自分がどういう社会で生きていきたいと考えているか、直接的に言えば、障害のない人とある人が共に生き共に働く社会を目指すか、それともそれを理想論に過ぎないとみなすかで、個々の立場性が出やすいとみられる。

当事者の意識は司法を変えるか。

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