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【11月28日結審】聴覚障害児の逸失利益裁判・証人尋問傍聴記

「相手側の主張が通ったら、本当にこの世の中狂ってしまいます!」

交通事故で11歳の子を亡くした父親は、強い語気で訴えかけた。

その事故の加害者は、持病のてんかんを隠して運転を続け、本件以前にも数件に及ぶ当て逃げや人身事故を犯しており、集団下校中に歩道で信号待ちしていた子どもたちのところに発作を起こして突っ込んだ。刑事裁判では危険運転致死傷罪が適用され、懲役7年の実刑判決。

加害者からは謝罪らしい謝罪はなく、見舞金や謝罪金は一銭もないという。謝罪の手紙は被害者家族の元には来ておらず、裁判所に出された。手紙では被害者の名字が間違えられており、このことにも父親は怒りを示した。手紙は裁判での印象を良くしたいためのものだ、という印象を父親は持った。

「加害者は、公判中にもてんかんを起こしたにも関わらず、自分の持病を認めず、『アクセルとブレーキ踏み間違えた』と嘘の証言をしました。無差別殺人だと思っています」

そして、その亡くなった子は、難聴で聴覚支援学校に通っていた。父親らが起こした民事裁判で、加害者は、子どもの聴覚障害を持ち出し、損害賠償額を一般人より低くするように主張してきた。

「優生思想やと思います」「この裁判は人権差別やと思います」「公平な判断をしていただきたい」

父親は、涙で声を詰まらせたり、途中で水分を摂ったりしながら、裁判官に訴えた。

障害者雇用の低賃金から起きていること

交通事故死した聴覚障害児の逸失利益をめぐる裁判が続いている。事故があったのは2018年2月1日。刑事裁判の判決が確定し、事故死した井出安優香さんの遺族、井出努さんらが損害賠償を求めて民事裁判を起こしたのは2020年1月。

筆者は2021年7月上旬、SNSで流れてきた署名運動と、署名用紙を詰めた多数のダンボール箱が大阪地裁に運び込まれる模様を報じたMBS毎日放送のニュース動画を見て知った。聴覚障害があると、交通事故の損害賠償額が一般人より低くなるー。なぜ、それが差別ではないのか。それは、損害賠償額で大きな割合を占める「逸失利益」が、収入に応じて変わるからだった。

聴覚障害者は思考力・言語力・学力を獲得するのが難しく、就職自体も難しい。就職できたとしても非正規社員が多く、昇進できる者も少なく、転職を繰り返す者も多い。そのまま働き続けることができず未就業者になる者も多いため、聴覚障害者が得られる賃金は低廉なものとなる。

2020年8月24日 被告側準備書面

障害者雇用の賃金が低く定着も難しいことで、こんなことも起きているのかー。

障害者のキャリアをテーマに取材・執筆してきた筆者として、それでいいのか、問題意識が湧いた。「聴覚障害の未成年者は聴覚障害者の平均収入で逸失利益を計算する」。聴覚障害者の平均年収は294万円(平成30年障害者雇用実態調査)で、一般平均の6割。このような判例ができれば、他の障害、発達障害の子どもも類推解釈されて賠償額を低くされてしまうのではないかー(発達障害者の平均年収は127万円。平成30年障害者雇用実態調査)。

この頃筆者は、都内から地元神戸に転居したばかりだった。裁判は大阪地裁で行われているということで、傍聴と資料閲覧に行くことにした。

大阪地方裁判所(10月31日筆者撮影)

筆者は2022年8月27日に、裁判の経緯と、問題がどう拡大したか、その報道のあり方について書いた。

8月27日には、新たに記事が出ていた。

よみうりテレビは8月27日に8分間のドキュメンタリー「『障害』を理由に賠償金減額を主張する被告側…重機暴走で11歳の娘を失った両親、“命の価値”争う闘いの苦しみと怒り」を放送。裁判を通しての遺族の苦しみや怒りに加えて、父親の努さんが2022年4月に、事故死した安優香さんと共に通った通勤経路を通るのが辛くなり、会社を退職していたことが伝えられた。被害者遺族が事故後もここまで苦しめられるのか、と痛感させられた。

フリージャーナリストの柳原三佳氏も、JBpressで伝えた。

遺族が最後の訴え、担任教諭も証言

8月29日に大阪地裁202法廷で、3時間半にわたり、本人・証人尋問が行なわれた。筆者、大阪聴力障害者協会や全日本ろうあ連盟など聴覚障害者団体関係者、新聞・テレビ局の記者・法廷スケッチ担当者など30人程度が傍聴。

法廷では、原告側に向かって2人、傍聴席に向かって3人、証言台に向かって2人、合わせて7人の手話通訳者が立った。音声を認識し文字がスクリーンに表示される装置も設置された。聴覚障害者への情報保障が徹底された。

尋問では、安優香さんの通っていた大阪府立生野聴覚支援学校の担任教諭2人と、安優香さんの両親が証言台に立った。

担任の教諭2人は、いずれも聴覚障害当事者。うち1人に対しては、自らも聴覚障害のある松田崚弁護士が、手話により主尋問を行った。1人は安優香さんが3・4年時の担任、もう1人は5年時の担任。それぞれ安優香さんの学校生活や学習成果を語った。途中で声を詰まらせる場面もあったが、教諭の証言は、安優香さんがいかに9歳の壁を乗り越えてきたかを訴えるようだった。「聞こえる人の社会に出たら、手話ができる人ばかりではないですが、一生懸命やっていれば、手話を覚えたいという人が増えてくるよ、と指導していました」

「聴力と学力は関係ない」「9歳の壁があったとは思っていません」教諭のはっきりとした証言は、安優香さんの両親を力付けるものとなった。

母親の井出さつ美さんは安優香さんの生育歴を、父親の井出努さんは事故当時の様子を語った。途中で何度も声を詰まらせながら。「娘に会いたい」という思いを持ち続けていること、「それでも生きていかなければならない」という現実の辛さも述べた。裁判は「9歳の壁」問題から始まり、公正な判決を求める署名運動が起き、11万人の署名が集まった、署名に協力してくれた人々へ感謝している、ということにも触れられた。

記者会見で示された、安優香さんの作文。右は坂戸孝行弁護士

春はさくら。道に、花びらちって、道がピンクをかし。さくら花見が、いとをかし。チューリップ、きれいな赤色と、白色と、黄色が、風にゆれてをかし。
夏は祭り。とうもろこしのにおい 良いにおい、しょう油のにおい、店にならぶ私。また、かき氷もおいしい。メロン味がをかし。つめたい さらなり、食べたら、頭がいたくて、わろし。
秋は月。お月見はあはれなり。まん月がきれい、いとをかし。だんご食べるも、をかし。三日月はいとをかし。
冬は雪。雪を見るのが、をかし。家の屋根につもるのがをかし。こたつで食べる れいとうみかん いとおいしい。手ぶくろとマフラーは、いと、あたたかい。

安優香さんの作文

この期日に合わせて原告側は、安優香さんが授業で作った、「春はあけぼの。…をかし」で知られる、古典の枕草子を参考に日常生活を綴った作文を、証拠として提出した。安優香さんの豊かな想像力とユーモアを示すものだった。

反対尋問では、被告側弁護士から担任教諭に、安優香さんの聴力データの測定結果が、学校で測定した数値と、医療機関で測定した数値で差があることを指摘する一場面があった。「就労可能性は聴力データを元に判断すべきである。聴力データの測定結果は慣れた環境かどうかで変わる。慣れた環境である学校での測定結果より、医療機関での測定結果を元に判断すべき。学校でよくできたからといって実社会でも上手くいくとは限らないよ」と、「聴力と就労可能性は関係ない」とする原告側主張を覆そうとするかのようだった。会見でさつ美さんは、このやり取りを聞いた時にどう感じたかを尋ねた記者の質問に、「まだそんな質問を投げてくるのか、と呆れた。安優香の成長を見ていてそれは分かっているので、どうしてそこにこだわるのか」と答えた。

報道を振り返る

証人尋問を、報道各社は以下のように報じた。

毎日新聞は、裁判後の会見で公開された、安優香さんが作った作文を写真に使用し、裁判の経緯と、両親の思いを伝えた。

読売新聞は、裁判での被告側主張と、尋問で努さんが「娘のそばに行きたいと思い、死んでしまいたいと思うことがある」、さつ美さんが「手話と口話でコミュニケーションが取れていた」、担当教諭が「健常者同等に進学していた可能性はあった」と証言したことを報じた。

NHK関西は裁判が終わってすぐの18時のニュースで、努さんが尋問で「逸失利益で差別」訴えた様子をスケッチともに報じた。加えて母親のさつ美さんが尋問で、娘が特別支援学校に加えて健常者と同じ塾にも通い、苦手だった科目にも積極的に取り組んでいたことなどを証言したこと、両親が裁判後に会見を開き、父親の努さんが「悔しい思いをぶつけることができてすっきりしている」「きょうが裁判官に訴える最後の日。安優香の11年間の努力を100パーセント伝えたいという思いがありました。しっかりと裁判官に届いてほしい」と話したことを伝えた。

関西テレビとフジテレビは、両親の「11年間の努力否定しないで」という思いを見出しに、裁判の経緯と、双方の主張の対立する点を並べ、安優香さんの遺影、運動会での写真、学習ノートの写真を入れて報じた。

MBS毎日放送は、担任教諭が「聴力と学力は一致しない」と証言するスケッチとともに報じた。

ABC放送

柳原三佳氏は、裁判の経緯と、尋問後の両親の思い、そして被告の加入会社である三井住友海上保険が、聴覚障害者の雇用についてホームページで掲げることと、裁判で被告側が逸失利益について主張している内容の矛盾、この点を柳原氏が同社に問い合わせたものの回答を得ることはできなかった旨を報じた。被告加入保険会社について伝えたのは、柳原氏のみ。

大阪聴力障害者が発行する「ろうあ大阪」10月号では、証人尋問の模様が詳しく伝えられ、遺族への応援メッセージと署名運動の結果が合わせて伝えられた。

http://daicyokyo.jp/wp-content/uploads/2022/10/20221001_02.pdf

ところでこの裁判は、関西圏ではテレビで伝えられているが、関東圏のテレビでは伝えられていないという。インターネットやSNSは、地方のニュースを掘り起こして全国に発信するのに良い手段と考える。

被害者を奪ったのは誰か、という事実

これまで、障害のある人の逸失利益が一般同等に認められた判例は少ない。当事者が前例のないことを主張しようとするとき、立証に、相手側への反論に、裁判官への理解を求めるのに、相当の精神的な忍耐を強いられることがある。

「亡くなった子は将来働けていた」ということを立証するために、子どもが学校で作った作文まで証拠として持ってきて、担任の先生まで証人として出廷して発言するー。立証とは何なのか。尋問を傍聴して思った。

「損害賠償制度は損失の公平な負担という趣旨がある。被害者が将来得られた収入の立証のハードルを、蓋然性を超えて可能性まで緩和し、蓋然性に疑いがある金額まで基礎収入を認定して被害者側に有利に扱うと、加害者側に過当な負担を迫ることになる。原告は、過剰に個人の尊厳や平等を強調して、加害者側に過当な負担を迫っている」この2022年2月の被告側準備書面に対し、4月の原告側準備書面は、「被害者の将来の可能性を奪ったのは誰か、という厳然たる事実が看過されている。被害者の将来の発展可能性や、今後どのように能力を発展させていくことができたかを実証する機会を奪っておきながら、被告らが、将来平均賃金並みの収入を得られたはずだということを被害者側が高度の蓋然性を持って証明すべき、と求めるのは不当」と反論していた。

このように対立したまま続き、和解は不可能とみられている。

11月28日結審、判決は年明けの見通し

次回期日は11月28日。原告側代理人弁護士によると、この期日に合わせて原告側は最終準備書面を提出して、結審となり、審理は終了する。判決は年明けの見通し。

判決次第では、損害賠償制度のあり方の見直しをめぐる議論が本格化する可能性がある。他方で、判決で一般同等の逸失利益が認められなかった場合、遺族は控訴し、裁判がさらに長期化することも予想される。

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