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辛い事を辛いと言えるのは。


それは確かに幸せだと、私は思う。


私がそれを出来るようになったのは、

ほんの数週間前だ。

今、このnoteを書いている

ほんの数週間前。


夏の終わりを感じさせる日の事。

一年ちょっとカウンセリングを受けていても、

私は心理士さんの前でなかなか上手く泣けなかった。


だけどその日、

何故か心から泣ける気がした。


涙が後からあとから溢れていった。





そもそも泣くのは嫌いだ。

泣いても何も変わらないから。

悲しいと思っても苦しいと感じても

それでも、誰も助けてはくれない。

だったらいっそ、

感情を無くせばよほど楽だから。

だから、

私は感情を切り離した。



『どうして私なんだろう。どうして。妹と私と何が違うの........』

『要らないと言うのなら、なんで産んだの?最初から産まなきゃ、あんなに泣く必要もなかったのに』


両親にはついぞ話せない、

私の本音だ。

今は、私に生きて欲しいと言うその口で

小さな私を殺して捨てた。

どうしようもないのを分かりつつ

それでも一度死んだ時に受けた傷は消えてはくれない。


その日、

やっぱり声を上げて泣く事は出来なかったけれど

静かに震える声で、涙した。

服が濡れて、そこに水たまりを作っていくぐらいには。


『あんな言葉は言って欲しくなかった.......、痛くて痛くて、苦し過ぎて.....いつの間にか、望む事を諦めちゃったんですね.......何もかも、もう.....いいや...って』

『ユエさんは無意識に未練を作ってこなかった。大事な物を持ってしまえば、この世から消える事がより難しくなってしまうから』

と、心理士さんが言った。



手を伸ばしても掴めない。

どんなに叫んでも、答えは帰ってこない。

そんな事が続く中、

先が見えないまま頑張れなんて、

それほど残酷なものはない。


私は、馬鹿じゃない。

諦めるべきものはさっさと諦めてしまえば

それが重荷にしかなりえない欲しい物なら

迷いなく切って捨てる。


二度と手に入らないならば、

もう捨ててしまえばいいのだ。

期待も希望も未来も全て。


そんな小さな私がいた。

だから今、私は閉鎖病棟にいる。


生きようとしないから。

生きようと思わないから。

隙があれば死のうとするから。


ただ、

辛い物は辛かったと

悲しい言葉だったと

傷ついたのだと

誰かに控えめながらも伝えられるようになった事は

自分でも入院中に進めた一歩だと

たしかに思う。


やはり、自分自身の中で

負の感情全てを抱え込んでいくよりは

誰かに受け止めてもらえると、

少しだけ楽になれる。


これからも、もし

生きていける間だけでも

誰かに話せるなら

それで、1日また一日と

長い時間を過ごしていつかは

次の日を、その1週間後を

1ヶ月後、半年後を

見据えたり、語ったりするのが

当然となる日が来るのだろうか。


今はまだ、

17年間、ずっと一緒だった希死念慮と

双極による鬱が重なって辛かったり

苦しい日が続いている入院生活だけれど、

いつか。


私にも大事な人が見つかるかな。

この世に残す未練が出来るかな。


犬が飼いたい。

愛する人と、愛犬と

ちょっと都会から離れた郊外で

平家の一軒家で

在宅でも出来る仕事を

無理せずやりながら

美味しい物を作ってみたり

たまにはテイクアウトでサボっても

一緒に楽しんでくれる人で

家のインテリアを一緒に考えて

住み心地良い家を

愛する人と一緒に作っていけたり。

そんな未来が。


そんな夢だけれど

まだ未練にはなり得ていない。

願う未来が実現出来ずとも

大して後悔もしないし、

まだ、死ねるなら迷いなく

死を選んでしまう選ぶ段階だ。


でもいつか。

主治医が、担当心理士さんが願ってくれるように

私が前を向いて今日一日を生きていける時が来たら。


明るい光を、

ほんの少しでも自分の手のひらに灯していけるように、

そう願う想いは、本物だから。

いつか。



angenoir165様

心温まる素敵な写真を、お借りします。
ありがとうございます。



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