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こんな私の自己紹介がいるかどうか分からないのですが。
初めまして。ユエです。
なんだかんだ、自己紹介をするべきかどうか迷いながらきたら、noteを始めて1年が過ぎました←遅い!
今更ですがユエってこんな人みたい、と読んでいただければ喜びます(私が)。
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『現在の状況』
21歳♀
理系大学中退→家事全般引き受けるという名の無職(ニート)
現在、閉鎖病棟入院中(2020/6/18〜)
2020/10/14より、医療保護から任意に切り替わりました。
現在、退院の目処は未だ立っていません。
退院すると言えば医療保護に戻すよと脅されていますので、実質無理ですね。
が、主治医や担当心理士さんとの関係はとても良好です。
こんな状態で退院しても、数日で病院に戻ってくると分かっていますから、入院継続には納得しています。
『精神疾患として』
幼少期からの心理的虐待より複雑性PTSD、双極性障害Ⅱ型(ウルトララピッドサイクラーと診断を受けています)、離人症を抱えています。
複雑性PTSDについてはカウンセリングで認知行動療法を毎週実践中。
双極性障害Ⅱ型については、薬物療法がひと段落した所で、あとは様子を見ながら微調整。
離人症は....、解離のひとつで、決まった治療法が確立されていないので、特に何もしていません。
他にはHSP気質がとても強い方かなと。
人の感情を読みすぎて、気を遣って疲れるのは日常茶飯事。匂いや音にも敏感すぎて、吐き気を催したりして辛いです。
『幼稚園時代』
甘えたで、母親の面影を先生や周りの大人に見ていました。そのくせ負けず嫌いで、なかなか素直になれない性格だからか、両親からは疎まれました。
家庭は崩壊寸前、愛着障害を起こすのも無理ないと担当心理士さんとには言われています。
私の心が壊れ始めたのも、この頃からです。
『小学校時代』
勉強に関しては文句なしの優等生。
家に帰れば、叱られ怒鳴られ責められ叩かれ続けて、情緒不安定のまま、泣いてばかりの毎日でした。
いずれ必ず死のう、と決めたのもこの時代。
母から死ねと宣われ、父には見て見ぬふりをされました。コノヤロウ。
また、妹が小学1年の頃産まれ、家庭の中で私の居場所は完全に無くなっていきました。
『中学高校時代』
境界性人格障害の症状が激しかったです。
友人を失う事が恐怖で、でも適切な付き合い方が出来なくて、結局先生や友人、先輩など色々な方面で信頼を失った苦い経験もあります。
今は歳と共に落ち着いてきているので、それだけは本当に良かった.....
ちなみに私は、
•現実または妄想で、人に見捨てられることを強く恐れ、不安を抱いている。
•対人関係の変動が激しく、コミュニケーションが安定しない。
•感情のブレーキが効かず、ちょっとしたことで癇癪(かんしゃく)を起こしたり、激しく怒り、傷つきやすい。
•いつも空虚な気持ちを抱き、幸せを感じにくい。
•生きることに対して辛さや違和感を持ち、自分が何者であるかわからない感覚を抱いている。
の症状が強く出ていました。
他にも白黒思考が強かったです。
毎日、何故こんなに人間関係は上手くいかないんだろう、辛いんだろうって思っていましたが
大学生になってこの境界性人格障害を知って、涙が出るほど安心した記憶があります。
自分だけが人間関係が上手く出来なくて空回りしてるわけじゃないんだ、って。
『大学時代』(2017〜2019)
理系学部に在籍。
友人関係は良好でした。
この学部に在籍する1/3が毎年留年するのが当たり前で、
そのプレッシャーや脳味噌のデキがよろしくなかったのか、
2年後期に重度の鬱状態に陥り(この時には双極性障害発症していたと主治医が指摘しました)
自殺を真剣に考え始めるまでになり、放っておけば死ぬ寸前の状態で実家へ帰る事が決まりました。
実家でも、大学中退の負い目やまともに生きられない自分を責めたり自己嫌悪したり、両親が社会復帰を急かしたりと様々な理由で精神科にかかっていたのですが
それでも精神的にだいぶ追い詰められていたらしく、衝動的にODをして救急にお世話になったり。
そこから精神科に入院する日々が始まりました。
1度目の入院はODした時で、1か月ほどの入院で済みました。
が2回目の入院が退院して4日後という前代未聞の事をやらかしました。この2回目が今入院している経緯になります。
主治医がもう二度とこんな事にはならないように、と私の退院に対して慎重を期しているのは仕方のない事ですね。
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そして、冒頭の現状に戻ります。
生きていく事への拒否が、主治医が頭を悩ませているのだと分かっていますが
それでもどうにもならない希死念慮は私も辛いです。
特に今、10月下旬ごろから私は鬱期に入っているようなので。
元からある希死念慮と双極性障害の激しい鬱状態が重なる苦しさは、たぶんなった事のある人にしか分からないでしょう。
双極性障害を発症した事自体を悲観するわけではありませんが、波に振り回されるのはやはり、苦しかったり大変だったりします。
薬に頼らなければいけないな、自分の力では対応するのが無理だな、と実感しています。
今は本当に、今頃は自分の手で自分を殺していたはずなんだけれど
という思いと共に毎日なんとか生かされています。(閉鎖病棟では中々死ねませんからね)
また、閉鎖病棟を退院したら、noteでご報告出来たらと思っています。
とりあえず、自己紹介はこんなところですかね。
私はこの先、自分が生きていくつもりは全くないのだけれど
主治医はなんとしても私を生かしたいんでしょうね......
【死にたいVS生きてちょうだい】
こんな攻防を続けていたら、いつ退院できることやら。
2020.11.22
ユエ