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第三部:自分の力で生きる喜びを取り戻す

ちょっと自分の現在位置を確認するために
半生を振り返る記事を書いていきます。
全部で3部構成になりそうです。全話長文注意。

7.恵まれた結婚生活、忘れていた感覚

その後、約5年という時間を費やし、
不妊治療がついに結果につながった。

メンタルも体力もすり減らした末に
香港で第一子を出産。

異国の地で育児に奮闘、とはいえ
香港で一緒に暮らしているとき
夫は積極的に家事も
子供の世話も手伝ってくれる。

とても恵まれている。

それでも初めての育児は
子供のことで頭がいっぱい。

1日が長く感じるものの
目の前の生活に必死で、
時間はあっという間にすぎていった。


香港でのワンオペ育児で思い出したこと

夫と結婚してからの私は
ずっと夫に守られてきた。

必要なものは
彼がすべて揃えてくれる。

どこかでかけようとすると
運転手さんを呼んでくれる。

十分なおこずかいもくれる。


私ができないことは
なんでもやってくれる。

困った時は助けてくれる。

夫は常に私にやさしい。
こんなに恵まれた環境ない。

間違いなく幸せ。
本気でそう思ってる。


しかし。


夫が仕事で長期不在中、
私は香港でワンオペ育児に
追われる時期があった。

その時に、結婚以来
すっかり忘れていた感情を
思い出すことができた。


「自分の力で生きている実感」

夫がいると
なんでもやってくれる彼に
私はずっと甘えていた。

買い物や店員さんとの交渉も
ぜんぶやってくれた。

私は横にくっついて彼に
「これ聞いて」とお願いするだけ。


でも夫がいない期間はそのすべてを
私が自分でやらなきゃいけない。


広東語の勉強を始めた。


せめて金額が聞き取れるように、と
まずは数字の読み方を覚えるところから。

そしてレジのない八百屋さんで、
つたない広東語つかって
野菜を買うことができた時、

日本だったら大したことない
たったそれだけのことでも、

じわっと細胞がうずくような
達成感を覚えた。


私一人でもなんとか生きていけてる。


結婚する前は、
当たり前にやっていたこと。

自分のことは自分でやる。
その充実感。


やさしい夫に守られている
その環境に甘えて、ずっと忘れていた。

幸せな結婚生活、
でも何かが足りないと
思っていたのはこれだった。


そこで抱いたひとつの想い。

私も自分で生きる力を取り戻して、
対等なパートナーとして
夫から認められたい。

そうすることで初めて私の
自己肯定感が戻ってくる気がする。



小さな、でも大きな挑戦

結婚してからの私は
夫に寄りかかりまくって生きてきた。

経済的な部分だけではなく、
たとえば車の運転

「怖い」という理由で逃げてきた。

就職前に免許を取って以来
ほぼ運転することなく生きてきた私は
筋金入りのペーパードライバー。

結婚後はなにかと
車を使う機会が増えた。

「私もいつか一人で
運転できるようにならなきゃ…」

と思いながら

「今日は雨だから」
「いきなり都内を走るのは無理」
「練習するなら夜じゃなくてまずは昼間から」

なにかと理由をつけて
ずっと後回しにしてきた。

車の運転は夫に丸投げ。

彼が疲れているときに
「私がかわってあげられたらな…」
と思うものの、
やさしい夫に甘えたまま
行動に移すことができずにいた。

香港でのワンオペ生活を
経た後、私の意識は変わった。

いつまでも夫に
甘えてばかりはいられない。
夫と対等な自分になるんだ!

そのためにまずは
自分で車を運転できるように
なるところからはじめよう。

やっと本気になれた。

脱ペーパードライバーへの道

夫に助手席に座ってもらって、
まずは家の周り、信号もない
シンプルな車道をぐるぐると回って
ハンドル操作に慣れるところから。

たったこれだけのことなのに
肩は凝るし手汗がすごい。

「この車のハンドルを握っているのが私」
と考えるだけで緊張して心拍数が上がる。

次のハードルは車線変更。
走りながらウィンカー出して
ミラーで後続車との距離感を確認して
ハンドルを少し切る。

なんとか無事に車線変更できた後は
脳がぶわっと汗をかくの感じる。
思わずフーッと息を吐く。

最後の関門は
夫がいない状態での一人での運転。

家から高速道路に乗って香港島の
ショッピングセンターの駐車場まで。

道は知ってる。
隣に夫がいる状態では
自分で運転して行ったこともある。

それでも私一人で後ろに娘を乗せて
運転していくのは怖かった。

高速の入り口。
ハンドル握りながらずっと
心臓が高鳴っているを感じる。

好きな音楽をかけて
余計なことは考えないように
平常心を保つのに必死だった。

でもしばらく高速を走っていると
少しずつ落ち着いてきて
「私一人でもちゃんと運転できてる!」
というワクワク感を感じるようになってきた。

そして無事に
駐車場に辿り着いて
エンジンを止めた時。

フーーッと、
今までとは違う安堵のため息が出た。

私一人でここまで来れた!

という達成感。充実感。
あとちょっとした自信。


運転できる人にとっては
ぜんぜん大したことないことでも
私にとっては大きな成功体験だった。


それから少しずつ
運転できる範囲も広がってきて、
今の私は香港でも日本でも、
最低限の生活ができるくらいには
車の運転ができるようになった。

夫が疲れてる時に
私が運転することもできる。

彼が隣で寝ていても
「ちょっと起きて!」
とは、もうならない。

寝てるってことは
安心してくれてるってことなんだと思うと、
その「頼られてる感」がうれしい。

目的地に着いた時
「ありがとう」って言ってもらえると、
よかったなぁと心が満たされる。

期待に応えられた、役に立てた、
そういう自分になれたことに幸せを感じる。


きっとこれなんだなぁ。

自分の成長を実感するときの喜びや充実感は
一人の頃と変わらない。

でも今の私には
パートナーがいて家族がいる。

私が成長することで
彼らの助けにもつながる、
それを感じるのは
またもう一つの新しい、幸せな喜び。

頼りっきり任せっきりではなく、
お互いにフォローし合える関係性、
絆がもう一歩ぐっと深まるような実感がある。

車を運転するのは
私にとって大いなる挑戦だった。
恐怖心に挑み、乗り越えるチャレンジ。

最初はめちゃくちゃ怖い。
今も初めての道を走るのは怖い。

でもその恐怖を乗り越えた先で
得られる充実感を体験することができた。

いや、思い出した。

結婚してからずっと、
なんでもやってくれる優しくて
頼りになる夫にそのまま
寄りかかってきていて忘れていた感覚。

守られた箱の中で適度に
心地いいぬるま湯に浸かりっぱなしで、
いろいろ鈍っていた。

思い出した。

私の自己肯定感が上がらない理由。

私も自分の力で
ちゃんと生きようとしなきゃ。

私の求める充実感は
その先でしか手に入らない。


8.私が目指す場所

私が苦しんだ「女の壁」

出産後は初めての育児でずっと
てんやわんやだったけど

娘が2歳を過ぎた頃から、
少しずつ気持ちに余裕が出て
自分自身のことを考えることが
できるようになってきた。

約5年にわたる不妊治療の中で、
私の中に「男vs女」構図が
でき上がってしまっていた。

私は幸せなことに長年ずっと、
男女の違いをそこまで意識せずに
生きることができていた。

学生時代の成績も
男女の差はなかったし、

大学受験も勉強をがんばって
いい点数をとれば合格できた。

就職活動も、
多少の差はあったのかもしれないけど、
女だからという理由で
不利な目にあうことはなかった。

会社員になってからの仕事も同じく、
機会や評価に不平等さは感じなかった。

しかし。

結婚して子供が欲しいね、
ってなってから、
私は「女の壁」にぶち当たった。

「女だから」という理由だけで、
私自身が今まで積み上げてきたものは
一切必要とされることもなく、
ただ妊活に専念させられる。

私に求められたのは
「女としての機能」だけだった。

「仕事もなにもしなくていいから」
というのは優しさでもなんでもなく、

「女である」ということ
以外の私に存在価値はない、
と言われているのと同じようなものだった。

もちろん夫や義父にそんなつもりはなく
純粋な優しさからの言葉と態度だったと思う。

でも少なくとも私はそう感じてしまった。

ひとりの人間としての存在価値の否定。

私が苦しんだ「女の壁」。

被害者意識を捨てよう


しかし娘が2歳になった年の夏。
ボーク重子さんのトークライブを見て
目が覚めた。

私はずっと自分が女だから
こんなにつらい経験をしたんだ、
と思っていたけども。違う。
そうじゃなかった。

気付かぬ間に自分の中で
被害者意識が膨れ上がって
しまっていたことに気づいた。

夫が背負っているものを忘れていた。

私が「女としての機能」を
求められていたのと同じように
私は自分の生活を夫に丸投げしている、

つまり無自覚に「財布としての役割」
彼に求めていた。

今の夫は私や娘の存在によって、
家庭を支える大黒柱として
働き続けなければならない。

しかし彼はそこに文句や不平等さを
感じるわけでもなく、一生その責務を
背負っていく覚悟でいてくれている。

そのことに気づいた時、
いつまでもこのままじゃダメだと思った。
甘えてばかりじゃダメだ。

私も経済的に自立できるようになりたい。

夫が外で、妻が家で、という
役割分担はお互いにとって
気持ちの負担が大きい。

夫は家族のために働くという
役割と責任から簡単に降りることが
できない。

子供が増えればそれはさらに重くなる。

私が家族の一人として
夫に全体重寄りかかって
生きていくのも違う。

それも一つの家族の形ではあるけど、
私はもっと違う生き方をしたい。

役割分担ではなくフォローし合える関係性

もしこれから先の未来で、
夫が新しいことに
チャレンジしてみたいと思った時。

私たち家族のために
それを諦めさせるのではなく
応援してあげられるようになりたい。


私の体調が悪いときは
夫が家事や子供の世話など
私の役割をフォローしてくれる。

でも今の私は「一家の大黒柱」という
夫の役割をフォローしてあげることが
できない。

これってすごく不平等だ。
もっと対等でありたい。

私も自分で収入を得て、
経済的自立を手に入れたい。

精神的な部分だけでなく、
経済的なところでも夫婦が対等であることは
家族みんながハッピーになるはず。

私は自己肯定感が上がる。
夫は少し気が楽になるかもしれない。

車の運転も、やりたがらない私に
無理強いすることはなかったし
疲れてる時も当たり前のように
「大丈夫だよ」と言って運転してくれていた。

それでも私が運転できるようになると
自然と頼ってくれるようになったし、
任せてもらえるようになった。

夫はなかなかの昭和脳だから
「家族のために男が外で稼いでくるのが当たり前」
と思っている節があるけど、

私も経済的に自立できるようになったら
彼の考え方も少しずつゆるんでくるに違いない。

娘にも、ちゃんと社会と
接点を持って生きる母の姿を
見せることは絶対プラスになる。

彼女には彼女のやりかたで
自分なりの「生きる力」を
身につけられるようになって
もらいたいから。

彼女にとっていちばん
身近な女性である私が、
ひとつの生きる姿を見せてあげたい。


9.中国茶で世の中とつながっていく

結婚8年目にして思い出した私の「生きがい」

自分の力で生きる喜びを取り戻したい。

学生時代に内モンゴルや河北省の田舎で、
会社員時代に南アフリカで味わった
「生きている実感」

自分の力で生きている充実感を
細胞レベルで噛み締めるあの喜びを。

「生きがい」を感じながら生きていきたい。

しかも今の私は一人じゃない。

私が生きる力を取り戻すことは
家族のためにもなる。

じゃあ。
私は経済的な自立を果たすために、
なにを通じて社会と繋がっていきたいのか。

どんな形で誰かの助けになって、
社会に貢献していきたいのか。

やっぱりお茶だ。
中国茶。

「私が感じる中国茶の魅力を
より多くの人に伝えたい!」

その想いで草の根レベルの
中国茶普及活動をかれこれ
10年以上継続してきた。

でもこれからは、
その活動の質も量も、
もっと高めていきたい。

きちんと対価をいただけるだけの
価値を提供できる自分になっていきたい。


そして応援できるようになりたい。

家族だけじゃなく、
必要としている人がいるときに
助けになってあげられる、
意味のある力が欲しい。

そのために私ができることを考えよう。

まだ手探りだけど
それでもまずは最初の第一歩。

新しい挑戦をします。


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