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第一部:お茶との出会い「生きている実感」

ちょっと自分の現在位置を確認するために
半生を振り返る記事を書いていきます。
全部で3部構成になりそうです。全話長文注意。

恋をしてしまった。

からだの深いところを
ぎゅっと掴まれたような感覚。

大学4年の冬休み、
福建省の厦門(アモイ)市の友人宅にて。

私の人生が狂い始めたのは
「安渓鉄観音」という烏龍茶を飲んだ
あの瞬間からだった。

1.「実感すること」に生きる幸せを感じる

周囲に合わせてなんとなく生きていた

さかのぼること学生時代の私は
将来やりたいことも特になくぼーっと生きていた。

周りの友人みんなが大学へ行くから
私もみんなと受験勉強して。

これといって行きたい学部もなかったから
なんとなく受かりやすそうなところを選んで。

大学に入ってからも将来のことを考えることもなく
サークル活動やバイトに明け暮れて日々を過ごしていた。

卒業後の進路も。
周囲の先輩たちはみんな立派な企業に入社している。

私の父も一家の大黒柱として
忙しいサラリーマン生活をがんばってくれていた。

私も同じように就活してどこかの会社に入って
定年まで働くんだろうなと単純に考えていた。

当時の私は社会人とのつながりもなかったから
「就活して会社員になる」以外の人生を
思い描くことも憧れを抱くこともなかった。

そんな大学時代、
私は中国へ1年間の留学をした。

実際は「留学したい」という
自分自身の意志は半分くらいしかなく。

それ以上に、
みんなが留学するっていうから、
そこに遅れをとりたくない気持ちが強かった
というのが正直なところ。

それでも負けじと「留学してやるぞ」という思いで、
学内の試験を突破して事前の講習もちゃんと参加して
中国語の準備もして、厳しい北京大学での学びを
乗り越えてきた当時の私によくがんばったと
お礼を言いたい。

なぜならその中国で
私の人生を変える体験を
いくつも得ることができたから。

「生きている実感」

大学時代の私は都市部よりも
僻地を好んで旅行していた。

内モンゴルの大草原

特に忘れられないのが
内モンゴルの草原を馬に乗って旅した5日間。

草原は偉大だった。何もない場所だった。
ただ空と、大地があった。

「旅してるんだ」という実感があった。

馬という生き物と共に走るということ、
体温を感じながら一歩一歩進むということ、
自分の体、まさに全身を使って、
体中痛くなりながら駆け抜けるということ。

自分が草原の中にいるんだと実感した。

太陽の光を感じた。風を感じた。
草の色、土の具合、踏みしめる感触、
そこにいる虫やトカゲ・・・本物を見た。

車に乗って窓から眺める景色とは全く違う。
そんな箱の中からじゃ絶対になにも分からなかったし、
なにも感じなかった。

そして
「生きている」ということを実感した。

草原は決して豊かな環境ではないから、
食べるものも飲みものも限られている。

だから好き嫌い言ってる贅沢なんかなくて、
食べられるものは何でも食べた。

果物をかじって、
そこに含まれる水分を
とてもありがたく感じた。

日本にいると自分が「生きてる」ということは
もう当たり前の、大前提になってるけど、
この草原の人たちは
その「生きる」ということそのものに必死で。
草原での生活の至る所に生きる知恵を感じた。

生きること、ただそれだけを考えて生きている。
それでも彼らは楽しそうに生きている。

なんでだろう、こんなに厳しい環境なのに。

草原にいる間、幸せって一体なんなんだろう
とずっと考えていた。

とにかく、草原での生活は過酷だったけど楽しかった。
何もない場所だったけど、充実してた。

偉大なる空と大地に感謝して、
風を感じてひたすら馬と向き合いながら
草原を駆け巡ったことも。

みんなで丘の上まで駈けのぼって、
そこから見た世界を鮮やかに彩る夕焼けも。

馬の上から見た眩しすぎる朝日も、
そのとき感じた清々しい風の感触も。

鳥肌が立つような・・・
言葉を失うくらいの超満天の星空も、
そこに見たいろんな星座も、
天の川も、夜空を切り裂くような
今まで見たこともない大きな流れ星も。

それを、明かりの届かない場所で
みんなでお互いのひざに頭乗せ合って、
わっかになって寝そべってずっと見ていたことも。

草原での体験すべてが
一生モノの宝物になっている。


河北省の農村

北京留学中は片道5時間かけて
河北省の農村へも足をのばした。

そこはある意味で想像通りの
「中国の農村」だったし、
ある意味で想像を超えていた。

北京とは別世界すぎる。
同じ国とは思えない。

ほとんどの家がレンガ造りの平屋。
タクシーもバスもなくて、
その代わり馬&ロバに荷車を引っ張らせている。
道端でごく普通に牛が草食べている。

滞在させてもらった張さん家の庭には
ロバ、牛、ブタが一頭ずついた。

生活はとても質素だった。

たしかに電気は通ってる。
夜は明かりがつくしテレビもある。

でも料理をするときはかまどだった。
まさにサツキとメイの家みたいな。

薪(というかトウモロコシの茎、草)を
入れて自分で空気入れて温度調節していた。
ストーブも同じ原理だった。

水は水がめに貯めてあった。
そこから必要な分だけ汲み取って大切に使ってた。

使用済みの水も捨てるのではなく、
別の桶にためておいて撒いたりして再利用する。

お風呂は週に一回、村の公衆浴場で。
トイレは青空トイレ。ブタのとなりの物陰が肥溜めで。

周囲の自然の風景は美しかった。
いつまでも見ていられた。

空が青かった。空気がおいしかった。

星が見えすぎた。また天の川見えた。

モンゴルの大草原で、
みんなでひざまくらし合って流れ星探した、
あの超満天の、あの星空と同じ…

どーしよーーーーーもなく感動した。
深く心に沁みた。いろんな人を思い出した。

何もないけど、充実してるということ。

内モンゴルの草原でも
中国の農村でもすごく感じたこと。

同時に味わう「自分が生きている実感」が
たまらなく好きだった。

満ち足りた幸せを、
細胞レベルで噛み締めていた。

少しずつ自分の中の
価値観の軸みたいなものができつつある中で、
私はついに人生を変える革命的な出会いを果たす。

中国茶との出会い

北京留学中、冬休みの旅行で訪れた福建省。
地元の友人宅に招かれてはじめて飲んだ烏龍茶
「安渓鉄観音」。

鐘が鳴り響いた。
一目惚れだった。

小さくかわいらしい茶器
舞うように注がれる熱湯

立ちのぼる湯気とはなやかな香り

目の前に差し出された一杯
水色は清らかな黄緑

緑色のお茶といえば
緑茶しか知らなかった私

口に含んだ時の驚きは
今でも鮮明に覚えている

緑茶だと思って飲んたら
ぜんぜん違う

ふわっとやさしく
鼻腔をなでる甘い香り

艶のある味わい
喉の奥にほんのり残る甘み

からだの深いところを
ぎゅっと掴まれたような感覚

恋をしてしまった

その瞬間から私は一気に
中国茶の世界にハマっていった。

大学卒業前の時間があるうちに茶
文化の本場・杭州へ飛び込み、
中国人の中に日本人1人という環境で
茶芸師(中級)と評茶員(初級)の資格を取得。

日本へ帰国後も茶芸の研鑽や
中国茶に関する勉強を続けた。

中国茶で人生が変わった

長い間、特にやりたいこともなく、
周囲に合わせてただなんとなく生きてきた私。

しかし中国茶と出会ったことで、
明確にやりたいことを見つけることができた。

中国茶はおいしい!
中国茶はたのしい!
中国茶は自由だ!

私が感じる中国茶の魅力を
より多くの人に伝えたい!

自分の生きかたの軸が決まった。
人生が彩りで溢れだした。


2.仕事の「やりがい」ってなに?

日本の大手飲料メーカーに就職

今までぼやっとしていた就職活動も
「中国やお茶と関わる仕事がしたい」
という方向で動き出すことができた。

日本で中国茶といえば
ペットボトル烏龍茶のイメージ。

志望動機を烏龍茶への熱意に
絞ったのが功を奏したのか、
無事に烏龍茶を手がける
飲料メーカーの内定をもらうことができた。

入社後に配属されたのは原材料調達の部門。

それが決まって最初に感じたことは、
商品を作って売る「ものづくり」の会社の
核となる部分に関われる部署。

スケールの大きな仕事ができそうで、
「やりがいありそうだなぁ~」ということ。

この時の私は「やりがい」というものが
何なのかちゃんと分からずになんとなく
「やりがいありそう~♪」と言っていただけだった。

スケール大きい仕事をすることの
何がやりがいに繋がるのか
まったく考えてなかった。

仕事の「やりがい」ってなに?

いざ仕事をはじめて分かったことは、
仕事のスケールが私の身の丈を
超えてしまっているということ。

全体像も見えずに、何がなんだか分からない。

いわゆる大企業で歯車の一つになって働く…って
きっとこういう感じなんだろうなぁと思った。

私の仕事は原料の購買。
といっても、日々の業務は
ただオフィスの中で、パソコンと電話を使うだけ。

自分があつかう原料を見ることもできない。
原料の発注をするのは私。でもその原料は直接、
サプライヤーの倉庫から会社の工場に送られてしまう。

サプライヤーが来て商談をする。
でも彼らは製品もサンプルも何も持っていない。
パワポで作ったような資料を見ながら話すだけ。

原料の取引をするのが私の仕事。
でもその原料は私たちの手元にはなく
いつもどこか見えないところで動いている。

自分が一体何を買っているのか、実感がない。

しかし実感がなくとも、私がパソコンの上で動かした数字は
実物と繋がっていて、間違いなく会社を動かしていた。

ちょっとした数字のミスが
大変なトラブルにつながることもある。

そんな時も自分が何をしてしまったのか
実感がないから、気持ち悪いし、恐ろしい。

熱いも寒いも何も感じない快適なオフィスの中で、
ただただ目の前の仕事に忙殺され
時間だけが恐るべき速さで過ぎていく。

違和感。

私にとってこれは
「やりがい」のある仕事なのだろうか。

たとえば。

新人時代の営業実習では、
スーパーやコンビニを巡って、
重たいケースをひたすら積み上げて、
汗だくになって、体痛くなって…

それでも売り場が出来上がると嬉しくて、
小さいことだけどちゃんと
「やりがい」を感じられた。

店頭で推奨販売したときは、
大声出しまくってのど痛くなって
疲れも半端なかったけど、
積み上げたケースがどんどん
減っていくのをみると気持ちよかったし、
お客さんから元気があっていいね~
と声かけてもらえると素直にうれしかった。

売れれば嬉しい。
売れなければ悔しい。

これくらいのスケール感が
私の身の丈には合ってるんだと思う。

生産実習でも、いろいろ感じた。

実際の原料が見てみたくて、
食品の工場で全体の研修が終わった後、
現場の方にお願いして特別に
原料受入ヤード周りを見せてもらった。

ホンモノを見た。

実物の原料がどんな形で納入されてきているのか、
受け入れは具体的にどんな検査をしているのか、
今まで言葉でしか分からなかったもの、
想像の中にしかなかったものの
ホンモノを見ることができて、本当に良かった。

自分の仕事と現実が初めてつながった感覚。

そして工場で働く方たちをうらやましく思った。

彼らは日々ひたすら会社の製品を生産している。
ホンモノの原料と向き合ってものづくりをしている。

自分達が作り出すものをどうすれば
より良くできるかを考えて働いている。

目の前にあるものが
どうやって変化していくのか、
ちゃんと見て、感じて、
その上で考えることができる。

これこそまさに「ものづくり」の現場だ。

私もできるだけ
実感を持って仕事をしていきたい。

あぁ、そうか。
私が考えるやりがいは
「実感すること」なんだ。

自分の仕事に
この「やりがい」を見つけたい。

できる限り外にも出て行って、
現場や実物を見ていきたい。

ホンモノをちゃんと知りたい。
倉庫でも、畑でも。機械でも。

取引先に来てくださいって言われたら
なんとか時間作って全部見にいきたい。

それで、現場にいる人の顔を見て、話を聞きたいし、
ホンモノの原料の香りをかぎたいし、味もみたい。
原料が加工して変化していく過程も全部見てみたい。

そうやって少しでもオフィスの中で
目に見えないものを扱うという私の仕事を
分かりやすいもの、感じやすいものに
していく努力をしたい。

私にとっては実感することが
「やりがい」に繋がっていくと思うから。

その想いから、できる限り
実物を見てホンモノを体感していけるよう
行動していった。

目の前の仕事でいっぱいいっぱいでも、
出張には国内も国外もチャンスがあれば
行くようにした。

その先で現場に携わる人たちの話を聞いた。
私たちが彼らからいただく原料を
どのように使っていくか、どうしていきたいか、
その想いも伝えてコミュニケーションしていった。

社内でも、研究所での実験や
サンプルの試飲などに
参加させてもらったり、
生産実験などで工場の現場に
入らせてもらったりもしてきた。

そうするとオフィスに帰ってからの
自分の仕事が前よりもう一歩楽しくなる。

今後のことを考える

何年か経つと、会社の中で
私がやってみたい仕事は、
飲料の中味開発をする研究所だなぁ
と感じるようになってきた。

新商品を開発するにしても、
既存製品をリニューアルするにしても、
常にホンモノと向き合って、
それを全国の工場で安定的に生産できるかを
考慮しながら味と香りをみて、品質保証をする。

まさに「ものづくり」の現場。
でも研究所は理系の仕事だから
文系の私にはほぼ無理な話。
(前例がないわけではなかっただろうけど)

私が入社前に憧れていた
商品ブランディングに携わる
ブランドマネージャーという役割も、
彼らと一緒に仕事をする中で
具体的な業務内容が垣間見えてくるうちに
「ちょっと違うかも」と思うようになってしまった。

就活の面接では
「新しい中国茶飲料を開発したい!」
と言っていたけど、

じゃあ仮にブランドマネージャーになれたとして、
実際に商品開発を任せてもらえることになったとして、
それでも私が憧れていた「やりがい」が
そこにあるのかどうかが、分からなくなった。

しかも大きな会社の中では
自分がやりたい仕事を
自由に選べるわけではない。

人事異動はもちろん
本人の意志や能力が反映される
部分もあるけど、実態として
大部分は人事部やお偉いさんたちの
意向によって決まってしまう。

ブランドマネージャーにすら、
なりたくてもなれるか分からない。

将来どんな仕事をするか分からない状態で
定年まで働き続けるのがものすごく
途方もないことに感じられた。

「やりがい」を実感しにくい環境で、
望むものを手に入れられないまま
定年を迎える人生になってしまったら
どうしよう。

そうは思うものの、
私は動くことができなかった。

入社してから4年、
ずっと同じ部署の同じ課で、
同じ原料の購買を担当していた。

この会社の中でも、他の部門に異動できたら
また見えてくる世界も変わってくるかもしれない。

それに「やりがい」と忙しさ以外の部分で
会社には何の不満も全くなかった。

仕事ではいろんなトラブルがあったり
業務量も膨大で、キャパ超えしてしまうことばかり。

しんどいと思わない日の方が少ない。

月曜日からの1週間を思うと
日曜日の夜から憂鬱だった。

東京で人身事故が多い理由もよく理解できる。

「もう無理かも」と限界を感じることは
数えきれないほどに何度もあった。

それでも、お給料もいいし
ボーナスもしっかり出るし、
同僚の人たちはみんな優秀で
楽しい人たちばかり。

つらい時に飲み明かせる
気の置けない同期たちにも恵まれた。

仕事は厳しい。
楽にすごせる日なんてほとんどない。

それでも職場は明るくて、
毎日誰かと何かで笑っていた。

今思い返しても
すごく恵まれた環境だったと思う。

「あ、私もう大丈夫だ」

新卒で入社して、同じ部署で
同じ原料調達の仕事をして
丸4年が過ぎた頃。

毎日「しんどい」と思いながら
踏ん張ってきた。

半年に1回ある人事異動を
毎回心待ちにしていた。

それでも私に辞令が出ることは一度もなく、
その度にがっかりしていた。

年々高まる他の仕事がしたい欲求。
叶うことなく過ぎていく時間。

私はいつまで今と同じ仕事を
続けることになるんだろう。

先の見えない不安。
次の人事異動までの半年が遠すぎる。
焦る気持ちはどんどん募っていった。

そんな中、出張で南アフリカへ行った。

それまでの私は旅行といっても
アジアをうろうろしていただけなので、
遥かアフリカ大陸へ上陸するのは
初めての体験。

▲朝はカバの鳴き声で目を覚ました

乗り継ぎ含めて片道24時間。
現地でのスケジュールはみっちり。
もちろん仕事としての成果を
きちんと持って帰らなければならない
プレッシャーもある。

体力的にも精神的にも
かなりハードだったけど、
南アフリカでの1週間は
すべてが新鮮で
細胞が蘇るような感覚があった。

▲週末に行ったガチサファリ

前半はサバンナエリア、
後半は自然豊かな山岳エリアに滞在した。

「ここ、星がすごく綺麗に見えるんですよ」

出張も終盤、最後に滞在したのは山の中のコテージ。

何度もこの場所に来ている取引先さんが
教えてくれた。星が見える場所があるって。

「見たいです!」

夕飯の後、その取引先さんと
研究所の後輩くんと3人で
ホテルの裏に出た。

そこはなだらかな丘になっていて
周囲には木がなく、すっぽり穴が空いたように
空が大きく見えた。満点の星空。

「わぁーーーーー!!!」

思わず声が出た。

3人、距離を置いて丘に体育座り。
会話もなく静かにそれぞれの時間を過ごした。

空の黒を埋め尽くすほどの無数の星。
見れば見るほど増えていく。

夜空がまるごと落ちてくるような錯覚を味わう。
天の川も久しぶりに見えた。

途方に暮れるくらいの星空。
思い出すのは学生時代の内モンゴルと北京の田舎。

「生きている実感」

あの頃の感覚を思い出す。
充実してたなぁ。

南アフリカでこうやってまた星を眺めている。
静かな時間。幸せだ。噛みしめていた。

その時のことは今でもはっきり覚えている。
天の川の真ん中の一番白くなってるところ。
ぼんやり眺めていた時に自然と降りてきたひとつの思い。

「会社やめよう」

普段だったら頭の中で
ぐるぐる悩むところだけど、
この時は上から降りてきてそのまま
頭のどこにも引っかかることなく
スーッと腹の底まで落ちてきた。

腹をくくるってきっとこういう感覚。

出張を終えて日本へ帰ると
トラブル続きでドタバタ。

会社員人生の中でトップレベルに
しんどい日々だったけど、でもその中で
どうにか私なりの仕事ができるように
なっているのを実感した。

ちゃんと成長してる。

それに気づいた時
「あ、もう大丈夫だ」
と思えるようになった。

私はもう大丈夫。
この場所で働いていける自信がついた。

なんだかんだ言いながらも
こうやって定年までこの会社で
働いていけるなと、初めて思えた。

そしてもう一度、自分の想いを確かめた。
「会社やめよう」は一時の気の迷いではなさそうだ。

この時やっと私は本当の意味で
自分の人生の選択ができるように
なったんだと思う。

仕事つらい仕事しんどいと
言っているだけの状態で
会社を去ればそれは多分、
逃げているだけな気がしたから。

この場所で働いていける自信が
持てて初めて、選ぶと言えるような
気がしたから。

新人時代から弱くて自分に甘い私を、
厳しくも暖かく育ててくれた人がいた。

会社を辞めると話した時に誰よりも、
私の親よりも断固として反対してくれた。

その人と約束したのは、
会社を辞めたことを後悔しないこと。

大丈夫だと思った。
すごく大好きな場所であることには変わらないけど、
きっとどんなに辛いことがあっても後悔しない。

何があっても戻りたいとは思わない。

私がそう言ったら
「良い時間を過ごしたね」
とにっこり笑ってくれた。

もう本当に、その言葉が
私の気持ちのすべてを表していた。

良い時間を過ごさせてもらった。
この職場のみなさんのおかげで。
幸せ者です私は。心から。


3.中国茶のカフェで見つけた「やりがい」と「実感」

条件も居心地もいい会社に
残り続けるのではなく、
私はお茶と関わる仕事がしたい。

しかも、ちゃんと自分の目の前に見える
ホンモノと向き合っていきたい。
「実感」することを大事にしたい。

そう思って、前の会社を飛び出してやって来た。
横浜中華街の中国茶専門店。

これからの私の仕事は
お客さまの目の前で
茶葉にお湯を注いで
お茶を作ってあげること。

大きな会社ではないから
社員の数も限られている。

私が入った時は枠が埋まっていた。
だから私の身分はアルバイト。
当時の時給は950円。

いつか社員になれるように、
そのつもりで日々働いた。

私の持ち場は店の2階にあるカフェ。

お客さまの席で、目の前で
茶器を温め、茶葉に湯を注ぎ、
一杯のお茶を提供する。

湯気と共に引き立つ香りを
その場で体感してもらう。

わぁ〜っと感動してくれる。

ホンモノの茶葉、お茶を淹れる仕事。

そしてお客さまの新鮮なリアクションを
その場で感じることができる。

楽しい。
楽しすぎる。

これこそまさに私が求めていた
「実感」をともなう「やりがい」

アルバイトという不安定な身分も、
給与が会社員時代の三分の一以下になったことも、
人気店で週末は特に目が回るように忙しいことも、
何も気にならない。

ホンモノを実感したいという「やりがい」以外の
いろんなものを犠牲にしてきた気がするけど、
それでも私の選択は100%間違ってないと確信していた。

後悔はない。今後もしない。

とにかく楽しくて、幸せで。
毎日歌うように過ごしていた。

しかしその楽しい日々は
思っていたほど長くは続かず。

ありがたいことに、結婚することとなった。

香港系オーストラリア人の夫。
彼の仕事は福建省の烏龍茶加工工場の責任者。
福建省各地に茶園を持つオーナー企業家の長男だった。

大好きな中国茶カフェを去るのは
心の底から名残惜しかったけど、
結婚して福建省に移住したら
彼の仕事を手伝えたらいいな、と考えていた。

もちろん海外での新婚生活、
いろいろ不安もあったけど

それよりも新しいステージ、
しかも烏龍茶の本場福建省で
お茶の仕事に関われるかと思うと
ワクワクする気持ちの方が大きかった。

しかしこの先で私は
人生最大の壁にぶち当たり
ドン底を味わうことになる。


つづく▼


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