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ランゲルハンス島で水兵リーベとボストンティーパーティー

日々、ああ私は物語を買い、情報を見に行き、口コミを食べていると思う。

情報や口コミというのは、いわゆる前評判だ。何処の誰が残したか分からない文字情報を、自分で思っている以上に信頼している。多分私がめんどくさがりだから、わざわざ書く労力を使いたくなるほど美味しいのか…!わざわざ人に勧めたくなるほど素敵なのか…!と思うのかもしれない。

しかし物語を買っている、というのは、そのまま「物語」なのだ。別の言葉で言い換えると、哲学、歴史、エピソード、生い立ち、職人技、地理的な事情、姿勢、信念などだろうか。
製品そのもののクオリティはもとよりそこで語られる物語にも製品と同等あるいは時にそれ以上の価値を見出すようになり、清水の舞台から飛び降りるか否かの判断材料にし続けて来た。値段が高いほど、一目惚れか、背中を突き飛ばす手となる物語に接してか、というお買い物のなんとワクワクすることか。ブランドとの距離が近いことにはあまり興味がないのでD2Cそのものずばりの考え方とは少し異なるかもしれないが、物語を買う、という消費傾向はモノに溢れた暮らしの中でかなり鮮やかだ。物語というのは性能そのものではもう競争できなくなった今かなり差別化を図れる舞台装置であり、経済を考えると馬鹿にできないものであると思う。

一方、なんの物語にも出会えてないがなんか好きでしょうがない、という良さも、確かにこの世には存在する。物語にも私財を投じてきたが、同時になんか好きも同じくらいお迎えして来た。そして大抵なんか好き、は、ずっと好き、である。

タイトルにしたランゲルハンス島、水兵リーベ、ボストンティーパーティーは、その背景や歴史を知らずに「なんか好きィ」となってしまったモノたちである。その結果今でも好きだし、好きになった結果勝手に物語を錬成した。

膵臓の組織たるランゲルハンス島は、初めてその語句に触れたとき、理科の授業中にもかかわらず一体どれほど豊かな緑が溢れる島なのか見てみたいと思った。きっと潮風はその土地固有の花の香りを連れて来て、眼下にはプリミティブな海、少し離れた自販機で買ったコーラがぬるくなるほどの日差し、ぼーっと立っていると小さな船がエンジンの音を立てながら入江に近づいて来て…という具合に、たちまち好きになってしまった。

水兵リーベは、僕の船、と続くのが良い。貧しい港町に生まれたリーベは、大航海の果てに船長になることが夢。船乗りの暮らしは楽じゃないけど、愉快な仲間と冒険の日々はどんな本にも書いていないほど刺激的だ。夜毎見える満点の星空に、僕はいつでも願うことで夢を忘れずにいられた。そんな数年を経て、見て…これが僕の船だよ。七つの海を自在に曲がる船。ねえ、ゴッドマザー名前をつけてよ。あら、私で良いの…?それじゃあ、この船は…クラークにしましょう。

そして一番好きなのがボストンティーパーティーだ。なんで底抜けにハッピーな名前なの!?と俄然驚いてしまい、ゲラゲラ笑って止まらなかった。意味がわかんなくても好きだったけど、この出来事については内容もなかなかで、抗議として湾に積荷の茶葉を全ぶち込み。やった集団の名前が「サンズオブリバティ=自由の息子たち」なのもお気に入りポイント。ネーミングが好き!だったが、知れば知るほど魅力的な要素がたくさんである(当事者の方々が大変だったであろうことは察するに余りある)。

物語に惹かれて手に入れたくなったりずっと覚えていたりすることも多いが、なんの物語も見出さずともなんか良い、なんか好き、というそれぞれの正義があるのもこの世界の良いところである。


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