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ランゲルハンス島

先日、とあるバーで、マスターに「『酔っ払いの雑多な会話を聞きながら、文豪が酒場でひとり飲んでいる』というシチュエーションを作ってあげる。」という体 (てい) の甘い放置プレイを受けて、それを楽しんでいた時にある話を思い出した。

阪神大震災前の話、今から数えるともう30年以上も前のこと。
その頃の神戸・北野界隈は、「風見鶏の異人館ブーム」も過去の話となり、観光客が去って本来のおしゃれで無国籍な表情を取り戻しつつあった。

神戸モスク前のハナミズキの通りを歩くと、うなぎの燻製を出す北欧料理の店があれば、濃い練乳コーヒーを出すベトナムカフェもあり、当然のことインド料理店は各ブロックごとにあった。そこから枝葉に分かれる坂道にはギリシャ雑貨を売る店もあればベランダでカラスミを干しているイタリア人家族もいた。

夜ともなれば、昼間はいったいどこに隠れているのだろうと思うほどいろんな異邦人が集まり出し、雑多でお下品で、でも危なかっしくは感じない空気が山から流れてきた。

そういう神戸の山手の雰囲気は、いくら港町でも霧笛は似合わない。そもそも瀬戸内気候で乾燥しているので夜霧はあまり出ないし、ノスタルジアに溢れているとしても哀愁が染み入る余地がないのだ。演歌が似合わない街、だから神戸を歌う演歌は長崎や横浜に比べて圧倒的に少ない。

そんなハナミズキの通りのいちばん東の端に、そのモロッコ料理の店はあった。
確か当時は日本で唯一のモロッコ料理の店だった。亭主はモロッコ出身ではあるがユダヤ人で、アラブ人にありがちな気難しさや宗教臭さはまったくなく、また彼の作る料理はスパイスが主張してこないほっこりとした味わいだった。

当時北アフリカ帰りの私は、クスクスなど食べさせてもらえる店が日本に、というか神戸にあるのか!あるいは神戸だからこそあるのかということに感心して、事あるごとに通っていた。

それは大学の後輩と、親友の女医と何人かでその「マラケシュ」というモロッコ料理店で宴会をしていたときのことである。みんな社会人になって数年、それぞれにいろんなことで疲れていた。学生時代は海外を飛びまわっていた人たちばかりなので、日本の社会に出て毎日、他人のために切迫した時間を過ごすことの理不尽をいちばん感じる時期だったのかも知れない。

クスクスを待つ間、モロッコ風春巻きに付ける塩レモンを舐めながら、
「ああ、休みたいね。」
「休むというかちゃんとした休暇を取りたいな。」
「休んでどこかでのんびりしたいよ。」
「でも遠くまで行く時間ないしね。」
「近くでどこか島とかゆったりとした休日を過ごせるところはないかな?」
「近くの島・・・そりゃもう『ランゲルハンス島』しかないでしょ!」
そこで一同、大笑いをした。
女医はすかさず、「正しくは『ランゲルハンス氏島』よ。」と付け加えた。

説明するのは無粋だが、ランゲルハンス島 (もしくははランゲルハンス氏島) とは、Wikipedia によると、「膵臓の内部に島の形状で散在する、内分泌を営む細胞群で膵島 (すいとう)とも呼ばれる。ドイツの病理学者のパウル・ランゲルハンスによって発見された。」となる。

おそらく高校の生物の授業で出てきたと思う。それをふとジョークにしても、テーブルにいた (確か) 5人全員理解して笑い合えた。その、自分でいうのもなんだけれど、当時は珍しかったモロッコ料理を食べながらちょっと大人で粋な会話を初めてできたという多幸感が、今も忘れられない。

それから数年後、書店で新刊のコーナーでその本を見つけたとき、思わず「え~っ!」と声を上げてしまった。そこには村上春樹の「ランゲルハンス島の午後」というエッセイ集があったのだ。

あの夜の「マラケシュ」の客に、実は村上春樹がいたんだ・・・私らの会話を聞いていたんだ、と今も信じている。

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画像は、クロアチアのフヴァル (Hvar) 島

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