見出し画像

「理想の家庭料理像」に押しつぶされそうになっていませんか?

こんにちは、山口祐加です。
自分のために料理を作るー自炊からはじまる「ケア」の話』が発売されて3週間が経ち、売れ行きが好調でこの度重版が決まりました!手に取ってくださった皆さん、本当にありがとうございます。

気になっているけどまだ手に取っていない方に向けて、第一章から一節を以下にご紹介します。第一章では料理がなぜ複雑になってしまうのかを紐解き、第二章で6名の自分のために料理できない方と精神科医の星野概念さんとの対話に入っていきます。それではどうぞ。


料理についてこんがらがってしまっていること

掃除、洗濯、料理は並べられることが多い家事ですが、なかでも一際工程が多いのが料理です。掃除は掃除機、洗濯は洗濯機に頼んでしまえばだいぶ負担は減りますが、料理はそううまくいきません。

作るものを考えて買い出しをし、帰ってきたら整理しながら冷蔵庫に入れ、時間になれば調理をして食べて片づけて、残った食材を余らせないように明日の食事へとつなげていく。台所仕事はずっとこのループを回し続けなければなりませんし、さらにそこへ家族がいればそれぞれの好き嫌いを考慮し、栄養バランスを考え、限られた予算の中でやりくりし、自分の味に飽きないように続けていくことになります。

これだけ大変なことを、みなさんが仕事や子育てと並行しながら毎日こなしているのは本当にすごいことだと思います。それくらい料理は複雑で、高度な家事スキルです。

複雑すぎるがゆえに、何かのきっかけで料理ができない、苦手だと思ってしまうと「なぜ苦手なのか」を考える余地もなく「できればやりたくない家事」と自分の中で決めつけてしまっていることもあるのではないでしょうか。複雑ならば絡み合った糸をほぐして、料理の問題を紐解いてみて、どうして自分のために料理するのが億劫になってしまうのか考えてみましょう。
 

「理想の家庭料理像」に押しつぶされそうになっていませんか?

今までの経験上、男女問わず働き世代の方に料理を教えてきて感じるのは、「家庭料理とはこうあるべき」という理想がいまだに強く残っていることです。

どんなものかというと、栄養バランス良く、彩りにも気を遣った料理が主菜や副菜など複数品目並ぶ食卓。確かにそれは「理想的」ではありますし、誰かがこうした料理を作ってくれるなら喜んで食べます! しかし実際の日々の中では、忙しく働きながら毎日そのような食事を作って食べるのは、かなり難しいのではないかと想像します。

というのも、現代においては結婚していても共働きが多く(総務省の統計で二〇二〇年は共働き世帯が一二四〇万世帯で専業主婦世帯が五七一万世帯)、毎日料理の時間をとって一汁三菜を用意するのは、時間的にも金銭的にも無理がありそうです。

また、現在日本における一人暮らし(単独世帯)は約二一一五万世帯で全世帯の約四〇パーセントを占め、最も多い世帯形態になっています。一人しか食べないのに一汁三菜を用意していては予算も足りませんし、食材も使いきれません。何より労力がかかりすぎます。

もともと戦前の一般庶民が食べていたのは、ご飯と味噌汁とお漬物を中心とした質素な食事でした。私のおばあちゃん(一九三七年生まれ)に幼い頃何を食べていたか聞いたことがありますが、さつまいもを入れた玄米ご飯とお漬物と味噌汁だったよ、と教えてくれました。

それくらい最近まで、日本人は質素な食事が日々の基盤でした。その後戦後の復興と高度経済成長で各家庭が食べるのに困らないくらいになっていくと、同時にテレビ番組を通じて各国の料理が紹介され、料理のバラエティは増えていきました。

しかし、本当にテレビで紹介されるような一汁三菜揃った食事を日常的に食べている人は、今も昔も少数派ではないでしょうか。一部の金銭的、時間的、精神的余裕がある家庭では可能かもしれませんが、これだけ働いている人が多く暮らしの形態も様々な中で、一汁三菜は必ずしもスタンダートだとは思えません。

教科書やテレビドラマや映画などで見る「理想の家庭料理像」は幻想、あるいは神話と言っても過言ではないでしょう。忙しく働きながらもなんとか料理を作っている人たちが、みんなが理想としているけれど実際には実現できていない理想の食事像のプレッシャーに押し潰されそうになっているなんて、本当に切ないと思います。

掃除は掃除機に任せて、洗濯は洗濯機に頼るのに、便利な調理家電を使ったり、お惣菜やカット野菜を買ったりすると急に「ズボラ」「手抜き」という言葉が胸を刺すように登場します。お惣菜やカット野菜の購入は気にしない人にとっては全然気にならないですが、Twitterでポテサラ騒動が話題になるほど、いまだに料理は手作りするべきだという風潮が残っていますし、気にしてしまう人にとってはじわじわと心に刺さって抜けない言葉なのでしょう。

料理家の土井善晴さんによる『一汁一菜でよいという提案』を筆頭に、もっとミニマムな食事でいいとメディアでは発信がなされていますが、指をパチンと鳴らせば世間の料理に対するイメージがガラッと変わるわけではないので、少しずつ変化し、多様なイメージが受け入れられるようになることを願っています。

また、そもそも論になりますが、歴史上一人暮らしが最も多い今の世の中で「家庭料理」という表現しか家の中で食べられている食事を表す言葉がないのも不思議です。

家庭料理の代名詞とも言える肉じゃがやハンバーグなどのメニューは、一人前を作るのが難しい料理です。普通に作ると二~三人前できてしまう料理は、一人暮らしだと数日間食べ続けなければならず、飽きがこない人ならよいですが、何度もこれらの料理を食べ続けるのは少ししんどい気がします。
これからますます一人暮らしが増えていく世の中で、一人でも飽きずに食べられて、ほどほどに栄養がとれて、心身の健康を養える料理。そういう新しい家での料理に代名詞のような料理を考えていきたいですし、新たな名づけがされるべきだと思います。


気になった方はぜひお近くの書店さんやネット書店さんでチェックしてみてください。

以下にSNSでいただいた本書に関する感想をまとめておきます。

作家であり、生活史研究家の阿古真理さんのレビュー


みなさんのサポートが励みになります。 「おいしい」の入り口を開拓すべく、精進します!