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醜さや汚さと人間らしさ

年末からTverで昔のドラマが配信されていてちょこちょこと観ていた。

夜行観覧車と家族狩り。湊かなえさん原作と天童荒太さん原作の映像化されたもの。今日やっと両作品とも最終話まで観れた。

映像化ってもちろん毎回がアタリということはないけれども、映像化されたことで気づけたこととかもある。両作品、たぶん原作はサラリとしか読んでおらず、というか二人の作品好きなのだけど重すぎて体力と気力が必要だから。でもこの映像化された作品はどちらも俳優さんたちと演出が魅力的で、原作の本よりももしかしたらしっかりと内容を受け止められた気がする。

気づけばどちらも家族をテーマにしている。やはり家族を題材にした作品で私自身も家族について考えるのだろう。ほんと些細なかけ違いから崩壊することも、積み重ねによって爆発してしまうことも。それは子だったり、親だったり。

家族狩りの最後で「家族を開く」というような表現が出てきて、本当にそうだと思った。私自身の体験でも、母と自分というしかいない状況だからこそ、一対一でうまくいかなくなった場合、他人であれば関係を解消することがあっても、家族はそうはいかない。他人が介入するというよりも、閉ざさずに巻き込むという感じなのか。特に天童荒太さんの作品では、家族というもののカタチについてよく考えさせらえた。今もこれ書いてて無意識に出るわ出るわの溜め息。すご。

そして日本だけなのか、これは知らんけども、家族を美化する傾向にある社会の在り方もどうかと改めて思った。良い〇〇(母、妻、父、夫、娘、息子)を演じてる人が多いのかなぁと。そして自分の身内をそう表現することも何となく求められてると思った。でもアラフォーのこの歳になって、そういう演じるのとかよく見せようと見栄張るのとかマウンテン取り合うのとか、ほんとくだらねーって思う。でもそれを社会全体が無言で圧力かけてたらそりゃそうなるわなと。無意識にお互いそうしてしまう感じ。

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どちらの作品も、人間の醜さというか汚さみたいなものをこれでもかと表していて、人間ってそうだよな、と思った。美しいとかきれいとかよりも、人間て本来は醜さと汚さを持っていて、その部分に触れた時、私はその人をより好きになると思った。きれいな美しく飾られた部分よりも、その人本来の持つ醜さと汚さみたいなもの、そっちが好きだなと思った。それは見た目も中身もかもしれない。見た目やたらとキレイにしている人よりも、え、ジャングルから来た?みたいな人に本能的に関心を持ってしまうのは人間らしさとか人間臭さがあるからなのかもしれない。

どちらの作品でも、怒鳴る、叫ぶ、暴れると言った、人の感情の爆発する場面があって、そこは役者さんの演技力なのだけど迫力が凄かった。人がキレるとき、太い声になり、呼吸が荒くなり、目つきが鋭くなり、空気が刺すように引き締まる。私も経験あるけど、本当にキレたときって血管が破裂するのではというほど、腑が煮え繰り返る。この表現て適切なんだと思う。

こういう感情を、本当に必要な時にちゃんと出せる人の方が、やっぱり人らしくて人間臭くて、私には魅力に感じる。

今ちょうど、鬼滅の刃の無限列車をまた観てるのだけど(10回目くらい)、炭治郎って人間臭さの塊だと思う。キレた時のキレ方が尋常じゃない。それで言うと猪之助や、のちのカナヲちゃんなんかも。柱の皆さんも。だから多くの人を惹きつけるのかなと勝手に思った。

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気づいたら鬼滅の話になってしまった。実は昼からワイン飲みながらレンコンとごぼうの唐揚げ作って鬼滅見ながら食べてる。雨だから洗濯物は部屋干し。しかし平和な週末。

今日、とっっても思い切って、あることをやってみることを決め、いざ調べたらここ数日以内でOKが取れたので挑戦してくる。試してから書くかもしれないし、書かないかもしれない。私にとっては初体験。緊張。ドキドキする。ある意味汚さというか欲の部分、少し向き合ってくる。

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