見出し画像

トラディショナルで、上質で、ベーシック=高野豆腐

わたし、服、買いすぎ

とクローゼットでいつも思う。

サステナビリティとかそういうの以前にシンプルに家屋の中における布の面積および体積が多い。この服の量…素敵になりたいと願う純粋な気持ちと、真の意味で素敵になるために必要な内側の鍛錬をショートカットしたいズボラ心の表れかもしれないな、と思いながらハンガーをシャッシャとスライドさせるのが常だ。

でもそのうち毎度、過ごしてきた日々の中で心惹かれてお迎えすることにした服達の可愛さにため息をついてしまう。かわいいなぁ。私以外の人にとってはただの服だと思う。だけどひとつひとつときめきながらお買い物して、心安らぎながら着て、今日はありがとう次もよろしくねと願いを込めながらお手入れした記憶のものたちばかり。我が家に来てくれてありがとうと思う。

クローゼットで毎度そういう優しい気持ちになれるようになったのは、服の選び方が年齢を経るごとにいつのまにか変わってきたことに由来すると思う。これまでは一目惚れで、色柄にお金を払っていた。可愛い色、可愛い柄、それが何よりの素晴らしさ。そこに何の疑問もなかったしその日々に出会えた服たちも愛おしいが、ある時から重きを置くようになった視点が布の質と形になったのだ。

20代の頃を過ごしていた仕事場に、素敵だな、と毎日思う先輩がいたのだ。艶々のショートヘア、基調は白黒グレーでたまにベージュ系のスッキリとまとまっているコーディネート、どこも傷んでいなさそうなのに履きやすそうな靴、上質なアクセサリー。似合うものをよくご存知で、春夏秋冬楽しそうにお仕事をされていた。
そのお姿に憧れて、今のクローゼットがあるかもしれない。

今のワードローブは好きだ。体感としては「ただ着ているだけ」なのに変な意味じゃなく体のラインがきれいに見えるような服や、特にチークを入れなくても顔色が良く見える服たち。はたまた、袖を通すだけで背筋が伸びたり、心まで強くなった気になったりするような服たち。いわゆる似合うものという視点でお迎えしたものたち。決して高級品ばかりではないが、ハレの日もケの日も「すてき」になるよう手伝ってくれるような気がしてくる。

突飛なデザインは殆どない。昔からある定番アイテム、例えばトレンチコートやレザージャケットやペンシルスカートなどが好きだ。雑誌っぽく言うならトラディショナルで、上質で、ベーシック、とでも言おうか。その三点を押さえていて大間違いすることは私の場合ほとんどなく、新しく何かを手に入れるときも三点のうち一つでも押さえているとうまくいく。

万物を食べ物で例えたくなるのはもう癖なのだが、この三点を押さえる要素に最近出会った。それは、高野豆腐である。

あぁ、服は多いし前置きが長い。ファッションの語りと見せかけて高野豆腐に向かって歩いていたのだ。続けますね。

自炊のレパートリーを増やしていきたいのだが、最近そこそこ暮らしに余裕があるので新しい食材にチャレンジする気になっている。先般レンズ豆をすごくいい形で取り入れることができたのも大きい。
なんかいいのないかな〜と想いながらいつものようにインターネッツを漂流していると、YouTubeに美味しそうな作り置きの情報がふんだんにストックされているではないか!
あーこれもいいね、あれもいいね、と見ていたところ、高野豆腐のレシピにたどり着いた。

高野豆腐。美味しくて大好きだが、なぜかこれまで自炊ではあまり手に取ってこなかった。しかし挑戦してみたらこれがまぁ本当に素晴らしい!お出汁を吸ってふっくらした姿の愛らしさ、ムチムチともふかふかともちょっぴり違う心地よい歯触り。何より栄養価に驚いたのだが、タンパク質や大豆イソフラボン、鉄分などがしっかり入っているらしい。おぬし、やるな…と思わず見つめてしまった。

服に例えるなら、良いトレンチコートを手に入れてまだ肌寒い春の夜を毎日謳歌しているような気持ちだ。トラディショナルで上質でベーシックなコートにはどんな服も小物もシチュエーションも大体似合う。それってなんだか、単体でも、他の具と合わせても、お出汁を吸って美味しく仕上がる高野豆腐も似たようなものではないか。

そんなわけで、とっても気に入って最近食べている。「このコートを着てどこまでも歩いていけそう」と「この高野豆腐はいくらでも食べられそう」は、私の中で少し似ている。
少しずつ増やしている愛しい定番服たちと同じく、定番常備菜の手数も増やしていきたい。

高野豆腐、大好き。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?