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「何かをバカにする」ことでしか、好きなものを褒めれない人は、文化の破壊者である。

「好きなものを語るときに、他の対象を攻撃する」行為は、おそらくインターネットが生まれる前から存在していたと思いますが、インターネットの登場により目立つようになり、SNSの登場で社会問題になるほど顕在化しました。

具体的なヘイトをぶつける攻撃と異なり、これらの行為に対して彼らは「邪悪であることを自覚していない」傾向にあり、自身の感想を呟いているだけだと思っているためタチが悪いです。

好きなものを褒める時に「比較をする」ことは昔からある表現方法ですが、「〇〇の方が上手くね?」「〇〇よりもパクリだな」「〇〇に比べたら全然ダメ」と言った言葉は『あなたが褒めちぎりたい対象の評価を下げている』ことになり、結果的にあなたは自分の好きなモノを攻撃することになります。

自身の見聞を広げる機会を失っているだけでなく、自身の好きなものも破壊する行為は誰の得にもならず、自身の生きがいをなくし、自身の首を絞める行為のため早急にやめるべきです。

とはいえ、何かを褒めるときに「比較」したい気持ちは非常によく分かります。

よく分かりますが、比較をする場合、あなた自身が攻撃されるリスクの存在と、非常に言葉を選ぶ必要がある高度なテクニックであることを知ることが重要です。


好きなことに対しては謙虚に学びまくる姿勢が超大切

好きな「対象」ものに対して、対象が属する界隈・業界に対しても「歴史」「登場人物」「関係性」「文脈」「価値観」を学ぶことが『真の意味で好きなモノを理解し、楽しむために必要なこと』です。

盲目的に対象を愛することは立派なことですが、リスペクトがなければその愛は「破壊行為」になる可能性もあり、盲信は必ずしも褒められたことではありません。

文化を破壊するのはリスペクトのない人の行動であることは歴史が証明しているように、「対象を褒めるために相手を貶す」行為にはリスペクトがこもっておらず、結果的に最もタチの悪いアンチになってしまう行為です。

言語の自由を主張するのであれば、発言に責任を持つべきですし、価値観の多様性を訴えるのであれば、多様化した世界とは「無秩序」のことではないことを知りましょう。

批判したいのであれば、批判できるレベルの教養を身につけ、常に学習し続ける努力をしなければいけません。

評論家になりたいのであれば、評価を論じるだけの経験と論理的な思考をもとに俯瞰して見る能力を身につけることが必須条件です。

道徳を学び、自分の頭で考え、リスペクトする心を持つことが、カルチャーを楽しむ最大のポイントなのですから。



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