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歴史を学ぶことで人は成長できる

歴史を学ぶことは何よりも大切

歴史とは「モノ」が変遷する様そのものを意味し、物事の変化や成り立ち、歩みに対して「歴史」という言葉が使われます。そのため凡ゆる事象に対して変化していく様は「歴史」と言えますが、学問における歴史は全ての変化を扱いません。

学問における、歴史には「変遷そのものが保存されて記録されたもの」という事実に基づく記録や記述が必要となります。つまりファクトベースであることが重要であり、例え本当に起きていたことも記録されていなければ「存在していなかった」ことになります。

「実際はそこに存在していたのに、誰も知らなければ存在していないのと同じ」というのは量子力学における『非実在性』や、哲学における『実在論』『存在論』にまで発展する壮大なテーマとなりますが、少なくともここでは「記録されている(またはその事実を経験した人が存命で、かつ言語として記録できる時)」に発生するファクトベースの出来事を『歴史』と定義します。

歴史は小学校から中学、高校、大学とカリキュラムとして存在しているだけでなく、凡ゆるカリキュラムの中でその対象となる科目の歴史(遍歴)を基に学習を行う「全ての基盤」として存在しています。

国語も数学も理科も社会も美術も道徳も体育も歴史的背景抜きで語られることはありません。

大人になってビジネスの世界に足を踏み入れた時も、家庭を持って子育てを始めた時も、新しい趣味を始めた時も、私たちは歴史から学び、歴史から関心を抱き、歴史から新しい発見をします。

そして、友達との会話においても「思い出話」で親交を深める時に「歴史」は姿を表します。記録されていなくとも、記憶に残っている出来事は複数人の実証によって事実へと変容し、思い出話は二人の間に起こった『確かな歴史』です。

また、何か新しいテーマで会話をする時や新しい出会いをした時に『歴史』はその人の教養を具現化させる武器にもなります。歴史から得た知識は知恵となり、未来に活かせます。そして歴史を知ることでその地域や人物、モノ・コトの背景にあるコンテキスト(文脈)を汲み取ることができるようになります。

歴史を知っていることはコミュニケーションを活発化させ、人の気持ちを汲み取ることができる人格を形成します。感情的にならずに事実をもとに物事を進め、コンテキストを意識した行動や言動は周囲の人を惹きつける魅力になることでしょう。


歴史を学ぶことで教養が養われる

歴史を学ぶことは物事の本質を理解するのに役立ちます。

例えばビジネスシーンにおいて取引先とコミュニケーションを図る時に「サービスの歴史」や「土地の歴史」「会社の歴史」「建物の歴史」「利用されている技術の歴史」を知っていることでその取引は確実に円満に進むでしょう。

もちろん全ての歴史が役に立つわけではありませんし、博識であることは「知識を見せびらかすこと」ではありません。広く物事をしており、さまざまな知識を必要な時に活用できることが重要であり、そうした知識は教養として体に刻まれます。

物事を追求していくと必ずといっていいほど「精神性」「思想」「哲学」「姿勢」へと辿り着きます。また、凡ゆるものが遠からず少なからず繋がっており、この世界の凡ゆる出来事は関連性がないわけでないことに気づかされます。

そうした歴史を知っていることで「本質を無視した見当違いな発言」や「感情的で論理的ではない発言」を回避し、「本質的で的確な発言」を行うことができます。これは結果的に本人の信頼度を高めることに繋がります。

また、教養を得ることは物事の本質を理解しやすく、多角的な視点で物事を見ることができます。これはビジネスだけでなく、生きること全ての物事の面白さに気づける利点があります。

「面白さが理解できない=つまらない(不要なモノ)」と結論づけてしまう人の問題点として「感性の違い」が挙げられます。

この感性を磨くのはその人の教養力を磨くしかありません。感性は優れた体験と経験、そして事象に対する知識から形成されていくモノです。

ここで勘違いしてほしくないのは教養とは「歴史的に重要な出来事の知識」や「伝統的なモノに対する理解」ではなく『個人の人格や学習に結びついた知識や経験』を指します。そして現代教養を磨くには凡ゆる事象に関心を抱き、良いも悪いも吸収する好奇心が必要です。

そしてこの時に吸収するのが「歴史」なのです。


歴史から得た知恵を未来に活かせる

歴史から得た知識は私たちが装備できる武器の元となる材料でしかありません。

知識は知識のままだと武器としての威力は弱いままです。真の意味で武器にするには知識を「知恵」として昇華させる必要がります。

知恵は『現実の物事を認識し、変化する出来事を論理的に処理する能力』のことです。問題に対して知識を総動員して統一し、適切に処理する過程と結果を体系化することで『知恵』は生まれます。

つまり知恵は知識からでしか生まれません。

そして知識は歴史から学び得るモノです。

また、歴史を学ぶことは『先人の知恵を学ぶこと』です。

歴史から学べることはあまりにも膨大で、多くの人はその事実を忘れてしまいがちですが、私たちの生活は先人が残した知恵によって形成された基盤の上を生きています。

この時に基盤となっている歴史には良いことだけでなく悪いことも含まれるでしょう。

目を背けたくなる歴史的事実によって私たちは「同じ過ちを繰り返さないための知恵」を身につけることができます。

これは簡単なことではないことはすでに歴史が証明していますが、不可能であるとは証明されていません。

現在社会は多くの情報に誰でも簡単にアクセスできる世の中になりました。これは誰でも簡単に「歴史に触れることができる」ということです。歴史を知るきっかけが増えれば増えるほど歴史から知恵を学び、未来を良い方向に動かすことへと近づいていきます。

歴史から知恵を学び未来に活かしやすい時代に今私たちは生きているのです。


歴史を知ることでコンテキストが見える

歴史を知ることは「背景」を知ることになります。

社会問題に対する理解を得るには「歴史的背景」を抜きに考えることはできません。目の前起きている事象だけを切り取って「理解した気になる」ことは危険な行動です。それは歴史的背景を無視しており、そこに至るまでのコンテキスト(文脈)を汲み取っていないため『混沌』を生み出す行為と言えます。

歴史を学ぶことで私たちは「コンテキスト」を知ることができます。

コンテキストとは「文脈」を意味する言葉で、文脈を理解することは物事の本質を知る上で大変重要なことです。

例えばあなたの友達が二人で楽しそうに談笑しているとします。

そこにあなたは、二人が「ピーマン」という言葉をきっかけに笑っていることに気づきました。二人の会話に参加するためにあなたは「ピーマンで爆笑するに至った文脈」を知る必要があります。

二人の間で起こったコンテキストを無視すると外から見た視点では「ピーマンで爆笑している」という『事実』のみがあなたの中で起こり、その出来事は事実と異なるおかしな方向で理解されてしまうかもしれません。

つまり、目の前で起きている出来事を理解するには「そこに至るまでのコンテキスト」を理解する必要があり、そのコンテキストとは「そこに至るまでの歴史」となります。

コンテキストを知ることで私たちは適切な判断をすることができます。事象だけ判断して批判をすることは物事の本質を見えにくくするだけでなく、事実を歪ませてしまうことにも繋がります。

その結果、在らぬ方向でヘイトが増幅し、勘違いから争いが生まれてしまう…といった最悪の事態に発展することもあります。

そうならないためにも歴史を学ぶことは重要なのです。


残酷で壮絶な出来事から目を背けてはいけない

歴史を学ぶには壮絶な過去の事実から目を逸らさずに受け止めることが重要です。危険な思想も残酷な事件も全て事実として受け止め、そこから次に繋げることが大切です。

見て見ぬふりをせずに、しっかりと事実を学ぶことで本当の意味で教養と知恵を得ることができます。


【パーソナル】
名前:Uto
職業:Webマーケティングコンサルタント
   Webライター、Webマーケスクール講師
趣味:サウナ、アート鑑賞、一人旅、音楽
   ラジオ、伝統・民俗芸能について調べること
特技:和太鼓、フットワークが軽い

【連絡先】
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Web制作会社のマーケティング支援部門でWebマーケティングコンサルタントとしてSEO、広告、コンテンツ制作、LPO、EFOなどの手法を元にお客様のWeb戦略のサポートを担当。提案・分析・企画・施策の実施・効果測定まで全て一気通貫で対応できることが強み。その後、Web接客ツールのベンダー企業にカスタマーサクセスを提供するコンサルタントを経て、現在フリーランスとして活動中。

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