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好きと似合うを優先


幼少期から変わらないこと

私立でもないのに制服がある小学校で、私服はほとんどスカートを履かない子供でした。

自転車が漕ぎづらい。鉄棒でスカートの裾を巻き込んでは擦れたり破いたりして母上に怒られる。布団の下にスカートのプリーツを綺麗に折って、翌朝ピシッとしたものを履いて登校する。

繰り返していたら、いつしかスカートが嫌いになるくらいになってた。何かしらの発表会でもシャツにズボン。少年みたいな服装を好んでいた気がします。

そもそも、小さい頃から「女の子らしく」という言葉に違和感もあった。
「似合わない」感覚はずっとあって。時代もあるけど、なんで赤やピンクを着なければいけないんだ、どうして皆と同じじゃなきゃいけないんだ。言葉に出すのは憚れるけど心には抱えていた思いがありました。


周りの可愛い子とは違う

学生服とは大抵誰でも大体似合うように出来ているんだなと気付いたり。

中高生の時にはセーラー服もブレザーも通ったけど、アルバイトに勤しみ服に興味はそこまで持たなかった。徐々に同級生や友達はメイクにファッションに興味を持っていたけど、そもそも靴下1つで先生からあれこれ言われるのが寧ろイヤだった。着たいように着れないなら、無難でいい。当時は太っていたのもあったから余計にそう感じてたのかも知れません。


制服から私服に

大学生になり、意識が変わった。
流石に痩せなきゃなんて思い始めて、自分が少しずつ体型を意識するようになってから周りのファッションがやけに目に入るようになりました。
似合っている人、似合ってない人、俯瞰で見ることで自分の服装への意識がより強くなった気がします。

徐々に体型も改善し、自分に似合うものが分かるようになってきてスカートへの意識も変わったのはこの頃だった。デザイン・丈感・色。少しずつだけど履いてもいいかもと思えるものが見えてきた。


ボーイッシュがしっくりきた

とはいえ、「女性らしい格好」には余り憧れが持てないのは変わらなかった。ふんわり。かわいい。フェミニン。恐らくこの路線に行くことは、この先もないでしょう。これは軸と本能。
ただ、中性的になるにはポテンシャルが足りない。背は高い方、髪も短い。これを活かしつつ自分なりの好きで似合う服を選ぶようになりました。

メンズの服も着るようになって、街でおじいちゃんやおばあちゃんから道を聞かれたり時間を聞かれたりするたびに「お兄さん」と呼ばれるように。
高齢者の方からは「男性」に見えることも多いんだと実感したけど、この時に嫌な気持ちにはならなかった。
外からはそう見えることもあるんだと思ったし、それでいいとも思った。変な格好をしていたら声も掛けられなかっただろうから「似合ってるんだ」と思うことが出来た。

年々「これでいいんだ」と。そう思えるようになったのは、知らない誰かのお陰。


原動力+興味や趣味嗜好

もちろんTPOは考えますし、他人の視線も気になります。
年齢を重ねると、世間の目は厳しくなる一方。よく見られたいと思って何が悪い!みたいなことも多々あります。

たとえば「好きな人に可愛いと思われたい」とか「兄弟姉妹でコンプレックスがあるから変わりたい」とか、ちょっとしたことでも。

突然何かで意識が変わることもある。その時は「好きな服装」を試して「似合うものを探す」だけでも、一瞬スイッチ入ったりするものです。

どこで楽しめるか、これが毎日服を着る以上は意外と重要だったりするのかもと思ってます。ミニマリストの方とか「同じ服を数着持っている」と聞くけど、それもありだと。日常のモチベやテンションに大きく関わるのだから、いいと思ったスタイルを貫いてるのもカッコいい。

極論:好きなものが似合えば、言うことないんだけどね


一旦ここまで

自分のファッションに対する変遷と意識的なことについて書いてみました。
バッグや靴、アイテムに関することやハイブランド・プチプラ・リユースについてもそのうち何かしら書けたらいいかな。

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