【短編小説】焼き鳥屋の煙―閉店前―
2,051文字/目安4分
一人で焼き鳥屋に来ている。
いつもはこういうことをしないのに、なんとなく思いついて立ち寄った。家にいたくない。一人になりたい。頭を冷やしたい。そういう思いで、ふらふらとどこに行くでもなく外を歩いていたら、この店を見つけた。
飲み屋はチェーンの居酒屋しか行ったことがない。こういう感じなんだ、と思った。入ってすぐの左側にカウンター席が四つ、右側に座敷のテーブル席が二つ。厨房には店長と思われる人一人だけで、他に店員がいる感じがしない。誰からも声をかけられなかった。店長は黙々と焼き鳥を焼いている。
入るんじゃなかったと思いながら、カウンター席の奥二つが空いていたので、一番端の椅子に座った。すると「いらっしゃい」と声がかかり、おしぼりを渡された。
こういうことがしたいんじゃない。本当に入るんじゃなかった。
居心地の悪い気持ちで、とりあえずメニューを見る。中身は普通の焼き鳥屋って感じだ。眺めていると、店長から「何を飲まれますか?」と聞かれる。別にそういう気分で来たんじゃない。適当に生ビールと、盛り合わせ五本を注文した。
店の中には他に四人。椅子一つ空いておそらくサラリーマンの男。その隣が作業着を着た男。そして座敷にはこれまた男。家族の愚痴やら仕事の愚痴やら今の日本がどうだとか、そういう話ばかり聞こえてくる。
すぐにビールは出てきた。ビールなんて普段は飲まないのに。一口含んで、グラスを置いた。
何やってるんだろう、俺は。
こんなことして、何かが良くなるわけじゃない。一人で酒なんか飲んだって虚しくなるだけだ。だからと言って誰かと飲むのも面倒だ。そもそも飲みたかったわけじゃない。
たぶん、現実から逃げたかっただけだと思う。でも現実は店の中までついてきた。逃げたところで少しも楽にならない。
何がしたいんだろう。
「お兄さん」
突然呼ばれた。声のする方を見ると、左のサラリーマンがこっちを向いていた。
「お兄さん大学生?」
「そうですけど」
面倒だけど答える。
「そうすると就活とかやってるの?」
「そうですね」
「今の時期は大変だよね」
何なんだこの人は。今は気分じゃない。話しかけないでほしい。さらに居心地が悪くなって、ビールを半分ほど一気に飲んだ。そのサラリーマンもグラスに口をつける。
「まぁ、いろいろ大変だし悩むだろうけど、頑張んな」
俺の様子を見て気を遣ってくれたのか、ただなんとなく声をかけたのかは知らない。少なくとも今の俺にとって、サラリーマンからの言葉に優しさは感じられなかった。
知った風なことを言うな。俺の何が分かるんだよ。うっとうしい。うっとうしい。めんどくさい。あーもう最悪だ。
俺だって悩みが就活だったらよかった。今の取り組みが将来を、下手したらこの先何十年の人生を左右するのに、俺は就活なんかで悩んでない。
就活だ? 大変だ? 大変に決まってるだろ。うまくいってるわけがないだろ。周りはどんどん内定が出ているのに、俺なんか一つも最終面接まで進んでない。それでも今は就活なんかどうでもいいんだよ。
ビールを飲み干して、もう一杯注文する。店長はすぐに出してくれ、「もう少しで焼き上がりますから」と言った。
俺も、周りと同じように悩めたらよかった。どこの会社受けただの、面接がどうのだの、そういう話がしたかった。
本当にくだらない。
くだらなすぎる。
ずっと前から好きだった人に告白できないでいる。そのせいで何もかもが中途半端。誰か笑ってくれよ。
今日だって、もう何回一緒に出かけているか分からない。学科も一緒。サークルも一緒。共通の友達も一緒。相手がどう思ってるか知らないけど、親友と言ってもいいくらい仲がいい。
今日だって、伝えるチャンスはいくらでもあった。でもできなかった。二人で出かける度に今日は言おうと思って、でも言えなくて、毎回毎回こうやって落ち込んでいる。バカみたいだ。
俺のことが好きみたいな素振りを見せるクセに、何とも思ってないような態度もとる。脈ありの女の子の態度をネットで検索するとほとんど当てはまるのに、脈なしの特徴にもぴったりハマる。
情けない。
「お待たせしました。五本盛りです」
あぁ、焼き鳥注文してたっけ。
食べる気はしないが、残すのは申し訳ない。これだけ食べたらもう帰ろう。そう思っていざ食べようとすると、焼き鳥に違和感があった。そして何かにすぐ気づいた。
六本ある。おかしいと思ってメニューを見ると、盛り合わせは五本のやつしかない。どっかで注文でも間違えたか。
店長の方に目を向けると、どうぞと言わんばかりに手を差し出し、髭の生えた顔で微笑んだ。そうしてすぐに手元の焼き鳥をひっくり返し始める。煙が上がった。
サービスしてくれたのか。予想していなかった。これは少し俺にはこたえる。
六つの希望と書いて「むつき」と読む、好きな人の顔が浮かぶ。
煙が上がるのを見ていると、それが目に入ったようにしみてくる。
俺は煙を追い出そうとする目を、おしぼりで抑えた。
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