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【短編小説】ここにいる理由

1,818文字/目安3分


 一年前に事故で死んだはずの彼が突然帰ってきた。どういうわけか全然分からないけれど、確かにそこにいる。話せる。触れる。体温を感じられる。一緒に食事もできる。

 朝起きてリビングに出ると、彼はキッチンに立っていた。やっぱりいる。今までそうしてきたように、そしてこれからも続くように、当たり前のように、確かにそこにいる。
 彼は食パンをトースターにセットしていた。一緒に暮らしていた時も、こんなふうに彼のほうが早起きで、わたしが遅く起きる。

「おはよう」
「あ、おはよう」
 声をかけると、彼からもちゃんと返ってくる。
「朝はトーストでいいよね」
「うん。じゃあわたし、コーヒー淹れるね」

 ちゃんと話せる。昨日のことは夢だったんじゃないかとも思ったけど、そんなことはなかった。いや、もしかしたら今も夢は続いているのかもしれない。
 わたしにとってはどっちでもいいと思えるくらい、彼は今の生活に溶け込んだ。要するに帰ってきた。わたしのところに。

 起きたら朝ごはんを食べて、コーヒーを飲みながらソファーでくつろぐ。休みの日はこんな感じだった。何をするでもなく二人で並んで座る。たまに話をしたり、気分で音楽を流したり。
 わたしも彼もソファーがお気に入りだった。今の家に引っ越した時に買ったものだ。最初は出費を抑えるために安いやつを選ぼうとしていたのだけど、探すうちにどんどんこだわりが出てきた。少しだけ揉めて、最終的に「家にいる時間のほとんどをソファーで過ごすだろうから、とことんいいやつを買おう」と決着がついた。
 おかげで当初考えていた予算の倍以上もお金を使ってしまった。当分の間は外食禁止だねと、二人で笑ったものだ。
 なんとなく懐かしくなって座面の部分をなでていると、彼が話しかけてきた。
「あのさ、変なこと聞いていい?」
 こういう時はたいてい、本当に変なことか返答しにくいことが投げかけられる。
 少し身構えて、「なに?」と答えた。

「俺って、死んだはずだよな」
「え?」
 ちゃんと聞き取れていたけど、すぐに返すことができなかった。
 まさか彼の方から話が出てくるとは。
 彼はわたしとの距離を近づけるようにして座り直した。重みでソファーが沈む。
「俺は、死んだよな?」
「分かるの?」
 返答はこれであっているのだろうか。
「うーん。その時の記憶があるわけじゃないんだけど、でもはっきりと分かるって感じかな」
「そうなんだ」
 彼は不思議そうにわたしを見つめた。
「昨日から思ってたけど、ずいぶんと落ち着いてるな。びっくりしなかった?」
「したよ、すごく」
 たぶん今も動揺していると思う。
「わたしも変なこと聞いていい?」
「いいよ」
「生きている感じ、する?」
 彼は「どうだろうな」と、少し考えて、
「死んだ感覚はあるけど、生き返ったとはまた違う。でも、少なくとも今は意識があるし、ちゃんと触れるし話せる。また餃子丼を一緒に食べられて嬉しい」
 わたしを見る彼の目は、彼の表情は、しぐさは、わたしの中にある記憶の通りに優しい。

「幽霊、なのかな」
「かもね」
「だとしたら、思ってたのと違う」
「俺もそう思う」
 彼はソファーに座ったまま足を上げて、ぴんと伸ばした。
「ほら、ちゃんと足がある」
「うん」
「頭に三角の布はついてない」
「天冠のこと?」
「天冠って言うんだ」
「そうだよ」
「すごい。物知りだね」
「そんなことないよ」
 自然と笑みがこぼれる。同じように彼も笑う。
「こっちに来てみて」
 彼は自分の膝をぽんぽんと二回たたく。乗れということだろうか。
「やだよ。恥ずかしい」
「いいから」
 そう言ってわたしの腕を掴んで、ぐいっと引っ張る。力を感じた。わたしは軽々と引き寄せられた。
「座って」
 言われるがまま、彼の足の間に収まるようにして座る。すると、彼は後ろから手をまわし、わたしを抱きしめた。
「ちゃんと、触れるんだよ」
 耳元で彼の低い声がする。息をしているのが分かる。背中から体温を感じる。こんなに温かいんだ。わたしは彼の腕にそっと手を置いた。

 喜んで、いいんだよね。
 どうにも信じきれないけど、何度も何度も自分に確かめるけど、やっぱりちゃんといる。
 わたしは心の底からほっとした。
 彼がここにいる理由は、どんなに記憶を掘り返しても分からない。分からないけれど、ここにいる。考えるのは後まわしにして、今はこの時間をめいっぱい噛みしめよう。
「ねぇ、今日は何しようか」
 自分でも分かるくらいに、声色が踊っていた。



――――

『ここにいる、ここにいて』

1.【短編小説】ここにいる、ここにいて
2.〈自由詩〉ここにいる
3.写真で描写『ここ』
4.【短編小説】ここにいる理由
5.〈自由詩〉ここにいて
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