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【27】「脳の男女差」とは? 「やりたいこと」の性差(5)


男脳も女脳も存在しない

 この連載は第1回からずっと「性差」について考え続けている。私も含めて多くの人は「男と女は外見だけじゃなく内面も相当違うよな」と漠然と感じている。体の作りだけでなく脳にも男女差があるように思えてならないのだ。しかし、内面的な性差というのはどうも捉えどころがない。

 「あらゆる男性的な性質を備えた男性」などいないし、「あらゆる女性的な性質を備えた女性」もいない。また、いかにも男らしい男性が、ある面では女性的な振る舞いを見せたり、逆にいかにも女らしい女性が、ある面では男性的な振る舞いを見せたりもする。結局「脳に男女差がある」とはどういうことなのだろうか?

 これまで多くの脳科学者や神経科学者が、脳の構造的、あるいは機能的な性差について研究を行ってきた。だいたいの研究において男女の脳には平均的に言って様々な差異があることが確認されている。能力面に関しては、例えば「男性は一般に言語能力よりも空間認識能力が高く、女性は一般に空間認識能力よりも言語能力の方が高い」といったことはよく指摘される。
 とはいえ、「男女の脳はこの点で根本的に異なる」と言えるような違いは見つかっていないし、全ての男性の脳に共通した特徴や全ての女性の脳に共通した特徴も見つかっていない。

 こう考えてみるとどうか。「人間の脳は男性脳と女性脳の間のスペクトラム(連続体)であって全ての人の脳はそのどこかに位置するのだ」と。色のグラデーションのように「左端に近づくほど男性的になり、右端に近づくほど女性的になる」といったイメージである。しかし、こう捉えても今一つ現実をすっきり説明できない。

 この考え方に沿えば、より左側にある脳ほど「男性的」とされる特徴をより多く備え、より右側にある脳ほど「女性的」とされる特徴をより多く備えるはずである。

 しかし、例えば自閉症と診断される人には男性が圧倒的に多く、これは非常に男性的な特質だと言える。ならば、より男らしい人ほどより自閉症傾向が高くなるのかと言えば、そんなわけがない。一般に外交的でリーダーシップがある人は「男らしい」とされるが、「外交的でリーダーシップがあり、かつ自閉症傾向が高い」という人物など想像しがたい。

 女性についても同じことが言える。例えばうつ病と診断される人は世界的に男性より女性の方が多く、これは女性的な特質だと言える。しかし、より女らしい人ほどよりうつ病傾向が高くなるのかと言えば、これもまた現実に反するように思える。では、どう考えればよいのか。

脳はモザイク状

 最近、イスラエルの神経科学者ダフナ・ジョエルが、脳の男女差について新しい見方を提示しており、一般向けの解説としては『ジェンダーと脳』(紀伊國屋書店、2021)という本にその概要がまとめられている。彼女の研究はかなり注目を集めているようで、NHKで2021年11月に放送された『ジェンダーサイエンス(1)「男X女 性差の真実」』でもとりあげられていた。

 ジョエルによると、人間の脳は男性的な特徴と女性的な特徴がモザイク状に入り混じっているのが普通であり、男性的な特徴のみを示す脳や女性的な特徴のみを示す脳の方がむしろ稀なのだという。

大半の脳はそれぞれ男性的な特徴と女性的な特徴の独自の〈モザイク〉から成る。これらの特徴には、男性より女性に多いもの、女性より男性に多いもの、女性と男性双方に見られるものがある〈1〉

一部の特徴はたしかに平均すれば女性と男性で異なる。しかし一般的には、女性によく見られる特徴がどの女性の脳にも見られるわけではないし、男性によく見られる特徴がどの男性の脳にも見られるわけでもない。むしろ、特徴は男女間で混じり合う。ヒトの脳 —さらに心理学的特徴や行動の特徴— はモザイクであり、男性によく見られる特徴と女性によく見られる特徴があるだけなのだ。〈2〉

私は女性と男性の脳に違いがないと主張しているわけではない。むしろ、他の科学者の多くと同様に、私のチームは両者の脳に多くの違いを認めた。私が言いたいのは、どの人の脳もそれぞれ他の人と異なる特徴を持ち、全体としてその人に特有のモザイクを形成しているということだ。これらの特徴のうち一部は女性にありがちで、その他の一部は男性にありがちなだけなのだ。この考えは、私たちの多くが何となく察知していることと符号する。人はみな「女性的な」特徴と「男性的な」特徴のパッチワークなのだ。〈3〉

 上の引用にある通り、ジョエルは脳に性差があることを否定していない。性差は確かにある。しかし、それは「どの男性にも一貫して見られる特徴」とか「どの女性にも一貫して見られる特徴」があるということではなく、「男性にありがちな特徴」と「女性にありがちな特徴」があるだけなのだ、というのである。

 これは全くその通りだと思う。「言われてみれば当たり前だよな」と感じなくもないが、こうした日常的な実感から「モザイク脳」という概念を考案し、その妥当性をしっかり論証した点がジョエルの研究の画期的なところなのだろう(具体的な論証のプロセスは、脳のスキャン画像や各種社会調査のデータ解析などけっこう複雑なので、参照元の『ジェンダーと脳』を読んでいただければと思う)。

男女の側ではなく性質の側から捉える

 ここから先はジョエルの研究を受けての私の考えである。私たちはふだん男女差について語るとき、「男性は○○で、女性は○○」だとか「○○さんは男らしい」「○○さんは女らしい」といったように、男女を主体にして考えがちである。
 しかし、性差というのは本当は男女の側ではなく「性質」の側を主体にして記述されるべきものなのではないだろうか。「個々の性質ごとに観察される男女比の偏り」こそが性差というものの本質なのだと思う。

 例えば、一般に男性が興味を惹かれやすい対象として、車、バイク、鉄道、(銃や戦車といった)ミリタリー、将棋、釣り、野球、サッカー、格闘技、ギャンブルなどがあげられると思う。しかし、これら全てを同時に、かつ同じ熱量で好きな男性などいそうにないし、この中のどれにも興味がない男性だっているだろう。正確に表現するとこうなのだ。

・全ての男性が車好きなわけではないが、車の運転や車いじりやモータースポーツを好む人は女性より男性の方が多い
・全ての男性が軍事兵器に興味があるわけではないが、銃や戦車や戦闘機に惹かれる人は女性より男性の方が多い
・全ての男性がギャンブル好きなわけではないが、パチンコや競馬や競輪に夢中になる人は女性より男性の方が多い

これは気質や性行動についても言えることである。

・全ての男性が暴力的な犯罪を起こすわけではないが、暴力的な犯罪を起こす人は女性より男性の方がはるかに多い
・全ての男性が浮気をするわけではないが、浮気をする人は女性より男性の方が多い

 もちろん女性についても同じことが言える。一般に女性が興味を惹かれやすい対象として、ファッション、ディズニー、カフェ巡り、ミュージカルの観劇、フィギュアスケートの観戦、美術鑑賞、占い、ガーデニング、アロマテラピー、編み物・手芸などがあげられると思う。しかし、これら全てを同時に、かつ同じ熱量で好きな女性などいそうにないし、この中のどれにも興味がない女性だっているだろう。正確に表現するとこうなのだ。

・全ての女性がディズニー好きなわけではないが、ディズニーランドやシーやディズニーのキャラクターグッズを好む人は男性より女性の方が多い
・全ての女性がフィギュアスケート好きなわけではないが、フィギュアスケートを熱心に観戦する人は男性より女性の方が多い
・全ての女性が占い好きなわけではないが、手相占いやタロット占いや姓名判断に興味を持つ人は男性より女性の方が多い

 つまり「男性は○○」とか「女性は△△」というより、「○○な人には男性が多い」「△△な人には女性が多い」というように、性質の側から語るのが男女差というものの正しい表現なのだ。
 
 といっても、何についても毎回こんなまどろっこしい言い方はしてられない。日常会話では「男って車好きだよね~」とか「女って占い好きだよね~」と雑に言ってしまっていいと思うし、私だってこれから「男性は一般に○○、女性は一般に○○」というような書き方を何度もしていくかもしれない。ただ今後、私の文章で性差について言及する際に意味しているのは上のような事態のことなのだ、ということはここで強調しておきたい。



〈1〉ダフナ・ジョエル、ルバ・ヴィハンスキ『ジェンダーと脳 —性別を超える脳の多様性—』鍛原多恵子訳、紀伊國屋書店、2021、kindle版、No.708
〈2〉前掲書、No.272
〈3〉前掲書、No.78

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